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藤子Fマニアが見た「ワンダーウーマン1984」

コロナ禍において、とても残念なのはハリウッド映画が全く公開されないことだ。4~5月に映画館が休業し、その後再開したが、ハリウッド映画の公開は数えるほどしかない。大作にいたっては「テネット」のみという状況である。

そんなハリウッド大作の渇望期において、DCブランドの新作「ワンダーウーマン1984」が公開された。さっそく待ってましたと劇場に足を運ぶ。

前作「ワンダーウーマン」は、1918年の第一次世界大戦末期を舞台にした、戦争映画+ヒーローものというスタイルの作品だった。男性キャストを脇に添えて、女性主人公を引き立てるという現代性を感じさせる映画であった。

傑作とは言えないものの、ガル・ガドットの浮世離れしたスタイルの良さと、世間知らずの主人公が才能あるパイロットと心を通じていく青春映画のテイストが魅力的な作品であったように思う。

さて本作、舞台はあれから66年後の1984年。藤子Fの作家史で言えば、第9期のアニメ全盛期の真っ只中に当たる。前年から始まった「パーマン」の第2シーズンの連載時期だ。

66年間も歳を取った様子の見えないワンダーウーマンことダイアナ。彼女は、66年前に自ら死んでいったスティーブのことが忘れられないでいた。見た目もココロも若いままである。

そんな彼女が、ある時、何でも一つ願いの叶うという「ドリーム・ストーン」の魔力を使って、スティーブを蘇らせてしまう。前作ではダイアナが世間知らずだったが、本作では時代を超えて復活したスティーブが世間知らずとなっている、という逆転した形になっている。

やがてドリーム・ストーンは、悪者の手に渡り、世界中の人々が自分たちの願いを叶えるように仕向けられて、願い事の渋滞が発生。それによって世界絶滅の危機にさらされる。

人と人との願い事は、やがてぶつかり合って、深刻な争いが生じていく。冷戦を背景にした展開がとてもユニークだった。

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アメリカが自国のパワーを願えば、ソ連もそれに対抗した力を付けようとする。テロリストも核兵器を持つし、エジプトでは古代の国家が再建される。人々がパワーを持ち、互いを一番にしたいと考えたときに、世界を滅ぼす核戦争が引き起こされてしまう。

戦争とは欲望のぶつかり合いなのだということを示すお話で、藤子F先生のSF短編集にありそうなテーマであったと思う。

願いが一つだけ叶うが、得るものがあれば失うものもある、という悪魔の設定がある。ダイアナは、永遠の恋人スティーブを得た代わりに、スーパーパワーを失いつつあった。

しかし、世界が滅びようとしている中、巨悪を止めるためには力を取り戻して戦うより仕方がない。彼女は、スティーブとヒーローである自分とを天秤にかけなくてはならなくなる。

愛する人とヒーローの使命との両面で心が引き裂かれる展開は、まさしくヒーロー映画最大のテーマと言えるものだ。以前の稿でも書いたが、「スパイダーマン」などが最も典型的なお話だし、映画の「スーパーマン」でもほぼ同様の展開が出てくる。

普通の人として生きるのか、普通を殺して特殊の人として生きるのか。ヒーローものの命題そのものであり、本作でもそれをしっかりと踏まえたものとなっている。

「パーマン」も、もちろんこのテーマが刻まれた物語である。

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