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大みそかだよ!ドラえもん の思い出など

また一年が終わろうとしている。

2020年は、コロナという大災厄が世界的に襲った、生涯でも忘れられない一年となった。そして、何か時代が5年先に飛んでしまったような感覚を持つ。人と直に対面をしない仕事の仕方、エンタメ業界における配信ビジネスへの転換、各業界の勝ち組と負け組が一夜のうちに入れ替わるパラダイム・シフトが目の前で行われた。

しっかりと、自分の頭で現状と行く末を捉えていかねばならない、真なる実力社会の到来をまざまざと感じさせた。

それでも、このような混乱はいずれ終焉を迎える。混乱に乗じて、自分の根幹を変えてしまってはいけないような気がする。格好つけた表現で言えば、「不易流行」である。変わっていくことと変えてはいけないことを、常に頭の中で巡らせなくてはならないと、そう考えている。

そんな一年を振り返る年の瀬に、思い出すのは藤子不二雄の大みそか特番である。本日は、そんな思い出を振り返ってみる。


何度か記事を書いているように、1980年代に藤子不二雄のアニメ大ブームが訪れた。僕はこの時、ちょうど小学生で、冗談ではなく毎日が藤子まみれの日々だった。

そんな中で、「ドラえもん」を始めとする藤子作品のスペシャルが、大みそかの恒例番組となり、それはそれは毎年の楽しみであった。

検索によると、初めて大みそかの特番が編成されたのが1981年の年末。この時は「ドラえもん」「忍者ハットリくん」という、F先生とA先生の代表作同士の特番だった。新作ではなく再放送の傑作選というような位置づけだったと思われる。

1983年には「パーマン」が加わり、「ドラ・ハッ・パー」という造語も作られた。この頃の記憶はしっかりと残っていて、大みそかの日中は楽しみすぎて他の遊びが手につかない感じだった。

1985年には、藤子不二雄ワイドの流れを汲み込み、「ドラ・ハッ・パー」に加えて、「オバケのQ太郎」「プロゴルファー猿」「怪物くん」も参戦し、「藤子不二雄オールスター大集合」となった。この形態が3年続くが、おそらく藤子不二雄アニメブームと、個人としての藤子ブームの頂点であったように思う。

1988年からは「ドラえもん」単独の大みそか特番となり、中学生となっていた僕は、この頃になると、藤子熱は一旦冷却してしまい、見ていたはずなのに心から楽しんでいた記憶はない。

もっとも、アニメや漫画への関心は薄れたわけではなく、週刊少年ジャンプものや、ジブリ作品にのめり込んでいったのである。自分の中の藤子再評価が来るのは、大学生になって、古本屋で藤子不二雄ランドを買い直したあたりからとなるのだが、これはまた別の話

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本日は、息子がドラえもんに本格的にハマった最初の年の、最初の大みそかドラえもん特番となる。新作としては「超大作特撮映画「宇宙大魔神」」、再放送として「のび太の結婚前夜」がオンエアされる。

前者は「小学四年生」1979年11月号掲載の22ページに及ぶ中編で、大山のぶ代バージョンでも特番で使われた作品。てんとう虫コミックでは、出木杉君の初登場回とされている。(実際の初登場は本作の先月に掲載された「税金鳥」)

出木杉君は、頭がいい・天才という触れ込みで登場。いきなりしずちゃんの家に一人で遊びに来ていたりしてのび太にとって侮れない存在のデビューとなっている。

そして、彼の脚本・監督で特撮映画が作られていくのだが、他にも精巧な粘土細工なども製作しており、ともかく出木杉君の一挙手一投足に目が離せない一本なのである。

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完ぺきなオチとともに、特撮映画作りの楽しさが満載の秀作である。きっと息子も楽しんで見てくれることだろう。

超大作特撮映画「宇宙大魔神」
小学四年生1979年11月号/藤子・F・不二雄大全集9巻
初掲載時タイトル:「イージー特撮カメラ」

★追記(1/1)
出木杉君の初登場だが、記事の中では、「小学四年生」1979年10月号掲載『税金鳥』だと書いた。気になって調べなおしたところ、そのさらに前の月1979年9月号の「コロコロコミック」掲載の『ドラえもんとドラミちゃん』で登場していた。この話から既にのび太の恋のライバルとしての立場を与えられている。出木杉君との恋のバトルは、いずれ記事にしなくてはと思った次第です。

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