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田舎と都会のバイリンガル

夏休みを取り、田舎に来ております。いつもの藤子F資料が手元に準備できず、二日連続でエッセイ風の文章となります。


今回、「田舎と都会のバイリンガル」と題しましたが、これについては就職活動のことの時に思ったことです。

就活では履歴書を書くたびに、外国語ができたら見栄えがするなといつも思っていました。そしてこれは見栄えだけでなく、就職後も、バイリンガルの新人はあっと言う間に「使える」人材として、やりがいのありそうな業務を任されておりました。

別に英語の成績が悪かったわけではないのですが、勇気や根気や物覚えに欠け、実質的な英語を習得することはできませんでした。

今では若干の後悔とともに、別の所で頑張るしかないと開き直っておりますが、就職活動~就職したての頃は、完全に外国語コンプレックスでした。


ところで、僕はかなりの田舎育ちなのですが、大学に入学して上京すると、全く生活環境が異なることに驚いた記憶があります。

例えば田舎では電車の時刻表に生活を合わせていくのが常識ですが、都会では電車は次から次へと来るので、時刻表は何も気にしないで済みます。

買い物についても、田舎では週一にショッピングセンターなどで買いだめしますが、都会はコンビニが歩いて行けるので、ミニマリストみたいな生活も可能です。

田舎と都会の二つの暮らしを経験して、それぞれ同じ日本でも生活行動が全く異なることを実感しました。


で、学生時代、履歴書を書くとき閃いたのが、これも一種のバイリンガルではないか、という発想です。外国と日本の文化が異なるように、日本の田舎と都会でも文化は大きく異なるので、この体験は貴重ではないか、と思ったのです。

履歴書上、「アメリカ留学の経験から異文化コミュニケーションを学んできました」という一文は強烈です。

ですが、僕から言わせると「日本の大都会とド田舎に住んだ経験から異文化コミュニケーションを身を染みて体感しました」という一文の方が、企業にとって役立ちそうに思います。


もちろん、そんなことは履歴書には書きませんでしたし、そんなことをしたら書類選考から先に進めなかったことでしょう。

けれど、今自分が携わっているマーケティングの業務をしていると、都心部とローカルでは、顧客を全くの別人として施策を講じています。つまり、学生時代の閃きは、間違っていなかったことになります。


この原稿はド田舎で執筆していますが、ここでは見える風景や体感する時間の流れは都会とは全く様相が異なります。

よく考えれば、アメリカでも都会と田舎がまるで違う国のような文化の違いがあります。日本での都会・田舎の異文化マーケティングが、もしかしたらアメリカでも援用できるかも知れません。

そういう意味では、国内における都会と田舎のバイリンガルも、何だか貴重な人間のように思えてきます。

少なくとも僕はそうだと言い聞かせて、この文章を終えたいと思います。

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