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藤子作品はS(サイエンス)か、F(ファンタジー)か

BRUTUS(ブルータス)のSF特集号を読んだ。表紙はわれらがドラえもん。「夏は、SF。」という大きいキャッチコピーを背景に、タイムマシンにドラえもんとのび太が乗っている一コマが重なる。

藤子F作品の解説については、表紙のインパクトからは少なめに感じたけれど、そもそも2024年の最新SF特集のメイン格として、藤子作品が取り上げられていること自体が驚きである。

藤子F先生の生誕90周年ということで、「T・Pぼん」がアニメシリーズ化されたり、SF短編がドラマ化されたりと、ここ近年では最も藤子作品が世の中に出回っていて、その流れに先に本誌の特集が組まれたのだろう。


特集の冒頭で、大森望氏・池澤春菜氏・大澤博隆氏によるSF鼎談が掲載されていて、かなり興味深く読んだ。初心者向けに現在のSFの立ち位置や、SFの定義についてもいくつかの見解が述べられている。

もちろん藤子F先生の提唱したSF(=すこし・ふしぎ)についても触れられているので、是非詳しくは本誌を手に取って確認して欲しい。


この3者対談の中では、SF愛好家にはS派とF派がいるという部分が非常に興味深かった。

本誌の脚注から引かせていただければ、科学性を重視するのがS派(科学派)で、文脈や物語性に重きを置くのがF派(ファンタジー・文学派)だという。

僕はSFは好きだが、大いに語れるほどに詳しいわけではない。S派とF派という言葉自体も初耳だったし、自分がどちらの立場を取るかなどと考えたこともなかった。

なのでこの機会に、自分はどちらなのだろうかと少し考えてみたい。


まず、藤子F作品はどうだろう。

藤子F作品は明らかにファンタジー寄りという認識が大勢だろうが、同時に科学的な態度が貫かれているとも思っている。

例えば「ドラえもん」の超有名ひみつ道具の「タケコプター」は、非常に軽量かつ小型の道具であり、あの程度のプロペラが回っても、人ひとりを空中に飛び上がらせるほどの浮力を作れるとは考えられない。

いくら22世紀の科学力で作られたという設定でも、客観的に見て、非科学的な構造を持つ道具のように思う。

しかし、タケコプターの構造は不明でも、動力源は電池で、継続使用をしているとバッテリーが上がってしまうという仕組みが、作中で明らかにされている。

なので、タケコプターで長距離を移動する場合には、一日の内4時間しか稼働させられない、というようなドラマが発生する。物語の作り方は、非常に科学的なのである。

このように、藤子作品は、ファンタジーを基本としながらも、作品の展開は「何でもあり」ではなく、一定のルールがきちんと存在しているのだ。


BRUTUSの冒頭対談でも、「サイエンス」には、科学的な知識だけでなく、科学的に考える方法論も含まれる、ということが語られていた。

藤子作品は、夢広がるファンタジーの要素が注目されがちなのだが、実はきちんとした科学的思考が宿っており、実はS派の作品群だったのではないか・・・などと今は考えている。


他の例でいえば、「エスパー魔美」では超能力という非科学的なテーマを扱っているが、その中では「予知能力」はうさんくさい、ということが描かれたりする。

予知していたと後からいくらでも言えるし、無数に予言していればたまには当たることもある。また、予言を曖昧な文言にしておけば、解釈でどうとでもなる。

論理的・科学的な態度から予知能力を考えていった先には、ほとんどの場合は、基本ウソという結論が導き出されるとしているのである。


ところで、自分は結局S派なのか、F派なのか。

ファンタジーも好きだし、科学的思考も嫌いではない。ウウム。

藤子F作品に4歳の頃からどっぷり浸かっている僕としては、S派でもF派でもなく、SF(すこしふしぎ)派ということで、ひとまず思考停止とさせていただきたい。




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