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結論ありきの問題にどう対処するのか?~論理の流れについての考察~

まず「論理的」とはどういうことか考える。

一般的には、Aという前提があって、AならばB、BならばCと、筋道立ててみなが納得のいく結論を導き出す、という意味で使われる。

筋道立てるということと、万人の納得というのがポイントで、客観性や無理のない論理展開が担保されていることが大事である。


また、論理的であるための思考回路のことを「論理的思考」と呼ぶ。

昨今の複雑化した現象を捉えるにあたって「論理的思考」は重要で、誰でも共有できる論理で考えていかないと、人それぞれの認識が異なることで、複雑な物事はすぐに破綻してしまう。

社会人ともなれば「論理的思考力」(ロジカルシンキング)は必須の能力であって、これなしでは簡単ではない局面の理解やこんがらがった問題の解決は達成できない。少なくとも考える必要のある仕事については全うできないだろうと思う。


ここから一歩話を進める。
ある前提から論理的な文脈で結論を導き出すことは、慣れてくれば比較的容易であろう。しかし、最初に結論ありきだった場合は、どのように対処したらよいだろうか。

大きく二つの手段が考えられる。 

①前提に戻って改めて結論を得る
②結論から遡って前提を作りだす

一見して、①が真っ当な答えであろう。結論ありきではなく、もう一度今起こっている現象を捉え直して、その結論に到達する道筋に無理がないか確認してみる。前提と結論が繋がらなければ、結論を変えなくてはならない。極めてフェアな考え方のように思える。

しかし、立ち戻った前提が間違っていたらどうなるだろうか。前提が間違えば結論も間違いとなってしまう。なので前提を常に疑ってかからないと、せっかく論理的に得た結論が誤りであったということになりかねない。


なので僕はしばしば②結論から遡って前提を作りだすという考え方を取るようにしている。

例えば犯罪者Aが死刑になったとして、このAは死刑ではなく更生させるべきであると確信が持てるのであれば、死刑の前提となった法律や裁判の仕組みを変更するべきだと考える。

これが前提を作り出す、という考え方である。

実際の例として、かつて旧刑法における姦通罪という罪状があり、女性が告訴できないという新憲法下の男女平等に反する条文となっていた。もしこの法律(前提)が生きていれば、結論として女性の告訴は常に無効とされてしまう。けれど男女平等という結論から遡れば、法律を変えるなり廃止するなりすることが妥当ということになる。

つまり、結論ありきだろうと、その結論が絶対的に正しいことならば、前提を作り変えることも視野に入れるべきだと考えるのである。


この論理の逆流ともいうべき思考回路は、ロジカルシンキングだけでは歯が立たない。なぜなら起きている現象を、安易に否定したり肯定もせずに、フラットな目で見る能力も求められるからだ。

どんな結論が正しいかを考えるためには、見識・哲学・学説など複合的な教養が必要だ。他人の意見を拝聴できる謙虚さも求められる。人間としての総合力を身につけなくてはならない。さもないと、誤った結論ありき、が生み出されてしまう。


ここまでをまとめると、

・前提から結論へ論理の流れを作るのが「論理的思考」
・結論ありきの場合
  ①前提に戻って筋道を考え直すか、
  ②前提事自体を疑ってみる。
・前提を疑うためには、正しい結論を見抜く目が必要
・ただしい結論を見抜く目は、教養によって身につける


論理は常に前提から結論に流れていくだけでなく、結論から前提に逆流することもある。つまりは、ロジカルシンキングだけではなく、教養も身につけないと、論理の流れを掌握することはできないと言えるのである。

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