見出し画像

大晦日だよ!

2021年が終わる。

藤子Fノートの振り返りは既に終えているので、本稿ではnote以外の日常について、今年を振り返ってみたい。

この記事は奥さんの実家にて書いている。昨年はコロナということで帰省せず家にいたので、のんびりnoteを書いたりしていたが、今年はわりと忙しない。

忙しないと記事も書けない可能性もあるので、頑張って1月1日から3日までの記事は「年末進行」にて書き溜めた。忘れずに日々アップさせていけば連続記録は途切れることはない。


この一年はnoteは順調に書いてこれたが、仕事においてはやや停滞していた気がする。コロナに影響を受ける業界ではあるので、攻めというよりは守りの仕事の進め方であった。

僕のメイン業務であるマーケティングの仕事は、通常モードとコロナ禍では取り組み方が全く異なる。

パンデミック前はシンプルにユーザーの嗜好を追求していけば良かった。けれど、コロナ禍では感染状況によって意識や行動に制限がかかる。刻一刻と変化する消費者の気持ちを考えなくてはならなくなった。

心理戦の度合いが高まったのである。


マーケティングの目的は科学的に成功率を高めることにある。それはつまり失敗をなるべく避けることを狙いとしている。

ところがコロナ禍では、確率的にうまくいかないと予想されるケースが多い。新規事業に足を踏み出しずらい状況が作られている。

普段なら「意欲→行動」と直結するところが、コロナで人々の行動の制限がかかり、意欲だけに留まってしまう。

リサーチ上では意欲が行動に結びつかない人の割合が相当数いるので、冷静に数値だけを追えば、今が動く時ではないことが明らかである。

けれど動かないままでは、稼ぐ種が作られず、事業体は立ち行かなくなる。通常より低い成功率で、一歩を踏み出さなくてはならないのである。

よってチャレンジというよりは、手堅い方のビジネスに流れがちとなる。「攻め」ではなく「受け」だ。


昨年(2020年)は非常事態を言い訳にして身を屈めていられたが、これが2年目ともなるとさすがに縮こまってばかりではいられない。

とはいえ、何とかしなくちゃ、と立ち上がろうとすると、その度にコロナの波が襲い掛かってきて、出鼻をくじかれる。

仕込みを担当する自分としては、この一年を振り返って「停滞の年」と考えてしまうのはそういう理由からである。


不確定要素が高まると、これまで自信満々に行動できたことも、恐る恐るの手探り状態に追いやられてしまう。

僕はこれまで自分の信じたことに一直線に動いてきたが、今年に入って根本たる自信を失いかけた。

自信が薄らぐと、こうまでも不安に襲われるものかと、衝撃を覚える。不安の種は少しずつ潰してきたつもりだが、それでもいくつかの大きな課題を残したまま居心地の悪い年越しを迎えている。


自信の喪失と不安感の増長。これは僕に限ったことではなくて、恐らく会社の上層だったり、現場で格闘する部下後輩たちも感じていることだと想像できる。(考えてなさそうな人もいるが)

なので、この一年表面上は不安を押し隠して、コツコツと作業を積み重ねるようにしてきた。派手に動けない分、地味に丁寧にコツコツと。こうなれば、不安との我慢比べだ。


一年を振り返ろうとしたが、何だか暗い話題に終始してしまったようだ。

ただ、仕事から離れたところでは、子供と遊ぶ時間、そしてnoteに向き合う時間の尊さを噛みしめる日々である。

前者はコロナ禍における一服の清涼剤だ。外の世界を発見していく子供に付き添って、自分も世界を再発見をしていく喜びは、なかなか言葉に落とし込むことができない。これがいつまでも続いてくれたらと願ってやまない。

noteの時間は、自分を見つめ直し、自己を発散する貴重なものだ。思いを言葉に変換する行為や、見えているものをスケッチのように書き留めていく作業が、これほど楽しいこととは知らなかった。


2021年が終わる。ひと言で言えば不完全燃焼だったが、得るものは確かにあった。

来年が良き一年になるよう心から願って大晦日の文章を終えたい。

皆様もどうぞ良いお年を!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?