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久しぶりに映画館に行く(&MCUのこと)

今日は約二カ月ぶりに映画館に行った。

もともと大学時代から映画にハマり、年間300本とか夥しい数の映画を観てきたのだが、社会人となって少しずつ仕事が忙しくなり、家庭を持ったり子供が生まれたりしているうちに、映画館に足繫く通える状況ではなくなっていった。

それでもエンタメコンテンツの王様とも言える映画は、僕にとって重要な位置づけのエンタメであって、おそらく今でも相当見ている部類に入るのではないかと思う。

なので、時間のある時はほぼ毎週映画館に行くようなタイプではあるのだが、9月以降の仕事の多忙と、11月からの体の絶不調を受けて、およそ二ヶ月ほど映画館から足が遠ざかっていた。

今日は体調回復後、今までのような生活パターンを取り戻す狙いもあって、夕方から時間を作って久しぶりに近くのシネコンに向かったのである。


この2ヶ月で、見たい映画が溜まりまくっているのだが、今日とりあえずタイミングが合う中で見ておきたい作品ということで、MCUの新作「マーベルズ」と北野武監督の「首」をハシゴしてきた。

両方の作品とも、個人的に期待通りの仕上がりとなっていたし、内容面でも多くのことを語りたい魅力に溢れていたと思う。

本日は時間がないので、「マーベルズ」についてのみ少々語らせていただきたい(「首」についてはまたいずれ)。なお、MCU関係の若干のネタバレが出てくるので、ご注意いただきたい。



MCUは「アイアンマン」の一作目から全て劇場で鑑賞しており、ドラマの方もおおよそチェックしていることから、日本人としてはかなり詳しい方になるのではないかと思う。

もう解説するまでもないが、マーベルコミックのヒーローたちを次々と映画化させてきたマーベルは、原作通りにヒーローたちを同じ世界観に存在することにして、ヒーロー同士を交錯させたり、協力して強大な敵と戦うというアイディアを現実のものとしてきた。

映画は一本ごとに成立させるべきものだが、それだけでなく、世界観や物語に連続性を加えることで、多層的な広がりをもたらすことに成功したのである。

この世界観の統一=「ユニバース」の発想は、映画だけでなくエンタメコンテンツを扱う者なら、一度は思い浮かべるアイディアなのだが、これを実現させるとなると、色々な問題があって非常に難しい。

しかしマーベルは、これをまんまと実現させただけでなく、しかもかなりの完成度を誇ったことに、世界中のエンタメ提供者も熱狂し、嫉妬したのである。


ただ、この熱狂は突然終焉を迎えることになる。

これもご存じの通り、「アベンジャーズ」シリーズの4作目となる「エンドゲーム」で、それまで10年間積み上げてきたMCUの物語のラストシーンが描かれてしまったからである。

そうなると、「次どうする?」ということになるのは当然で、MCUファンやエンタメ関係者が強い期待を寄せたわけだが、そこから残念ながらMCUの次なる手がうまくいっていない印象を持たれてしまったのである。


ちなみに「エンドゲーム」までのお話を僕なりに整理すると、漫画「ドラゴンボール」のナメック星でのフリーザとの戦いだった考えてもらって良いだろう(一部セル篇の要素も入っているが)。

ひと言で言えば、敵とのボール集め(MCUではストーン集め)という展開であったのだ。

そして、MCUがストーン集めという展開の次に選んだテーマは、「マルチバース」であった。

マルチバース(並行世界)となると急にSFっぽいテーマとなるので、これまでのような分かり易さから少し離れてしまうのは致し方ないところ。

藤子F先生も多数の「マルチバース」作品を描いているが、うまく設定を説明してお話を転がしていかないと、途端に訳わからなくなるのがこのジャンルの特徴なのである。


MCUでは「マルチバース」設定を利用して、これまでソニーが描いてきたサム・ライミの「スパイダーマン」シリーズ、「アメイジング・スパイダーマン」シリーズをMCUの世界観に取り込むことに成功している。

さらに20世紀FOXが権利を保有していた「X-メン」や「ファンタスティック・フォー」シリーズの取り込みも射程に捉えている。

そう考えると、これまで作られてきたマーベル作品のブランド統一を図るために、「マルチバース」設定が生み出され、うまく使われてきたのは間違いない。

ただし、そうしたビジネス的側面(大人の事情)として利用価値の高い「マルチバース」設定によって、一般的な分かり易さを犠牲にしてしまったとも言えるのである。


ただ、今日見た「マーベルズ」は、ようやくポスト「エンドゲーム」の道筋が見える非常に有意義な作品だったと感じている。なぜそう感じたかと言えば・・・。

かなりのネタバレとなるので、この後十分にご注意して下さい。














「マーベルズ」の物語終了後、二つの「次回予告」(いわゆるポストクレジット)が流れた。

一つはミズ・マーベルことカマラ・カーンが、ヤングアベンジャーズの結成に動き出すシーンである。

そもそもアベンジャーズの結成は、「アイアンマン」のポストクレジットシーンで、ニック・フューリーがアイアンマンをアベンジャーズにスカウトしにきたことから始まっている。

今回はそのパロディとしても描かれており、カマラが今後MCU世界の若手ヒーローを次々とスカウトして、新たな若きアベンジャーズチームを結成していく流れが確定的となった。

すなわち「ブラック・ウィドウ」から始まって、「エンドゲーム」後は映画とドラマを駆使して、ネクストヒーローを大量生産していくことが一つの方針だったことが明白となったのである。

映画、特に実写の世界では役者が年を取っていくという、物理的な制約があって、コミックやアニメのようにいつまでも同じ外見で居続けるのは難しい。シリーズを長く続かせるためには、ヒーローの定期的な代替わりが必要となる。

そんな状況下で、なるべく若いヒーローを作っておけば、それだけ長持ちするという極めてビジネス的な発想も見え隠れするのである。


もう一つのポストクレッジトシーン。それはモニカ・ランボーが別の世界線(マルチバース)に送り込まれたその後のシーンなのだが、そこにはなんと「X-メン」でおなじみの青き野獣・ビーストが登場して、さらにチャールズ(プロフェッサーX)の存在も明示したのである。

これは正式に「X-メン」シリーズがMCU世界に組み込まれた瞬間であり、「X-メン」が今のMCUの世界(アース166)とは別の世界で描かれていくことを匂わせた重要なシーンなのであった。

「X-メン」とMCUとの融合は、唯一FOXから引き継いだ来年公開の「デッドプール3」からと考えていたが、その流れも今回間違いないことがはっきりしたように思う。


ということで、予測される今後のMCUは、
①ヤングアベンジャーズの結成
②「X-メン」シリーズを別世界で並行して描いていく
③新ヒーローによる新たなアベンジャーズの結成

ということは間違いなかろうと考える。


ただし、ここで気になるのは次なる強大な敵(ヴィラン)の不在である。一応カーンというマルチバースの権化のような敵は「アントマン」などに登場しているが、サノスほどのカリスマ性を感じられない。

原作のことは良くわからないが、聞けば相当ややこしい敵もいるようなので、出し惜しみなく憎っくきヴィランを出して欲しいものである。

「ドラゴンボール」では、絶望的に強かったフリーザの後に、セルや魔人ブゥと敵を出していったが、フリーザ以上の脅威にはならなかった。ヴィランの創造はかくも難しい訳だが、それを出せるかが、今後のMCUの最大のポイントになる気がする。


さて、思いの外長くなってしまったが、MCUについての語りはここまで。後日、北野監督の「首」についても大いに語りたい。

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