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仕事を丸投げする人、丸抱えする人

残念ながら、本日から今年も仕事が始まった。そこで、おとそ気分を晴らすためにも、無理やり仕事の話題でもしてみることにしたい。
(注:本日は藤子エッセイではありません)


年末に読み終えたあるビジネス本の中で、仕事のやり方において、丸投げも丸抱えも駄目、という印象的な一節があった。

僕が従事しているエンタメ・コンテンツの業界では、この一節は、結構耳の痛い言葉である。

なぜなら、個人の才能や人脈に頼る形でコンテンツが生み出されることが珍しくないため、時として仕事が個人プレーとなりがちだからだ。個人で業務が完結してしまうので、自分が大事だと思える仕事は丸抱えするし、逆に自分の仕事ではないと思えば、いとも簡単に他の人にまるっと委ねてしまう。

こうした属人的な仕事のやり方がまかり通るため、その人が異動したとしても、仕事がそのまま付いて回ったりもするし、下手をすればその人が会社を辞めたとしても、そのまま仕事も外に流れていってしまうことすらザラだ。

属人的な仕事が可能なゆえ、丸抱え・丸投げが横行しているのだと思われる。

しかしながら、フリーの人ならともかく、組織に属する人間が、仕事を一人抱え込むことは、非常に危険である。人の目に晒されて、初めて公明正大な仕事ぶりが明らかになるのであって、個人秘という密室の中では、金銭的・時間的なタガが外れてしまいがちだ。

そして丸投げも相当危険な行為と見るべきだ。上司から部下へ仕事が丸投げされるケースを考えれば一目瞭然だが、責任所在も曖昧になるし、上司のチェックが漏れれば、取り返しのつかない事態だって引き起こしかねない。

こうした、丸投げ・丸抱え問題は、組織のガバナンスの問題にも繋がっていくことなのである。


ただ、逆にチームプレーと称して、一つの業務を数人で分担するやり方は、僕は好きではない。同じフィールドにいたとしても、メンバーの立ち位置を明確化した上で、役割はきっちりと分担されるべきだ。

僕はこれを、「漏れなくダブリなく」という言葉でイメージしている。

野球のグラウンドを9人で守るイメージ、の方が分かりやすいだろうか。守備範囲はかっちり決められているが、もちろん周囲がサポートに入るし、時としてダブルプレーなどの連携も必要となる。

チームプレーであり、個人プレーでもある、というのが理想だ。
「風の谷のナウシカ」の王蟲でいうところの、「個にして全、全にして個」という感じだろうか。(←急にすみません)


仕事は、一つのフィールドで戦っている限り、メンバーにその内容が「共有」されなくてはならない。ただし自分のエリアはプロとして、責任もって一人で受け持つことが必要と考える。

そうした意識をメンバー全体で持つことができれば、仕事の丸抱えも丸投げも起こらないのではないかと思う。

あと、もう一つ。個人で作られるコンテンツなど、たかが知れているという事実も肝に銘じておきたい。一発屋ならともかく、永続的にモノを生み出し続けていくならば、やはり集合知を利用した仕事の仕方が求められる。

個にして全、全にして個。
私たちは王蟲なのだ。

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あ、ナウシカはひとりの才能で作られたのか。。

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