noteの読み手として思うこと
noteの書き手としての発信は何度もしているので、本日は読む立場から思うことを率直に書き綴ります。なお、誰かを個人攻撃する意図はありませんので、念のため。
まず、どのような書き手の皆様をフォローしているかについて。
自分が毎日更新していることもあり、どうしても同じように毎日のように投稿されている方々に目が向かいます。自己啓発系・エッセイ系・お役立ち情報系・創作系とあまりジャンルにこだわらず、とにかく更新頻度の高い方をチェックしています。またnoteはオススメを表示してくれるので、積極的に読みにいくようしています。
基本的に読むことを楽しみにしているので、広告の類いが多い方や、更新が止まってしまった方は、相互フォローの方でも、フォローを外してしまいます。せっかくnoteを始めたのだから、「書く」だけでなく「読みたい」というのが本意なのです。
また、ライターを名乗る方を積極的にフォローさせてもらってます。自分がプロの書き手ではないので、ライター業でご飯を食べている方の文章力や、その内容に興味が沸くのです。
noteは書くことのハードルが低く、継続することが癖になる良いブログ(?)であると思います。そして、読む立場としても、それなりの分量の文章を、まるでツイッターのようにスラスラと読める点が素晴らしいと感じています。
ただ半年間も読み続けていると、毎日更新することが目的となってしまった文章について、それはどうなんだろうと思うようになりました。
例えば、書くネタがないという文章、というパターン。ネタがないのに書くという行為自体が、率直に言って意味がわかりません。別に短くてもいいので、一ネタ組み込んで欲しいというのが、読み手としての要望となります。
また、ツイッターで済むような短文投稿を繰り返しているパターンも、長文志向の僕からすると正直退屈です。自分も情報系の話題はつぶやきに乗せるようにしているので、あまり人をとやかく言えた義理はないのですが、ちゃんと読ませるというのが、noteの本質なのではないかと思う次第です。
あとはエビデンスのない情報を押し付けてくるパターンが多くて、そのような文章をどう受け止めていいのかいつも迷います。「あなたのためになる」という触れ込みで、断定的な教訓が押し込まれるパターンも同様です。
文章は、事実と意見を分けなくてはならないという大原則があって、これを混同する文章が、ちょっと苦手です。どんなに極論でも、意見は自由だし、読み手としても読みがいがありますが、自分の意見をさも当然の事実として語られても、「それ証拠ありますか?」と思ってしまうのです。
あともう一つ苦手なのは、noteの中でしか通用しない言説です。noteのフォロワーの増やし方や、noteの毎日更新のコツ、といった記事ですが、もう少し一般的な内容にしてもらいたいと思うことがあります。
まあ自分もこんな記事を書いておいて何ですが、note執筆の時間は、忙しい人生において貴重なものです。noteの書き方、みたいな講釈の記事ではなく、ブログ初心者の手本となるような、ビシッとした中身のある文章を書くことに注力した方が、その後の人生に役立つような気がしてなりません。
その一方で、○○研究家というタイプの書き手の皆様の文章は、読むのが楽しみで仕方がありません。それが本業なのか趣味なのかわかりませんが、そういう方の文章は楽しんで書かれていることもすぐわかりますし、中身も独自の見解が入っていて、読み手として新しい発見があります。
また若い方の勢いのある文章も好きです。言わずにはおられない衝動、表現せずにはいられない心の内、悩みや迷い、日々から少しでも学びを得ようとする心意気。そうした感情のうねりが、中年の僕の心を揺り動かしてくれます。
総じて、noteを読むという行為は、結構楽しい時間となっています。皆様の面白い記事を読んで発奮して、自分も良い記事を書こうと努力する。このサイクルをもう少し続けてみたいと思います。
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