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生活リズムとnoteの執筆
先月末に急遽海外出張が決まり、そこから急ピッチで準備が始まり、慌ただしく実際の出張を終えたところで体調を崩し、今日に至る。
この間、すっかり生活のペースを崩してしまい、ルーティンもできず、やらねばならぬことを取りこぼしている。
こういう非日常的なバタバタした経験をすると、やはり自分は一定のリズムを刻みながら生活を送ってきたのだということがわかる。
もちろん、毎日一切のブレなく日常を送っていたわけではなく、イレギュラーなことは出てくるのだけど、ある程度の幅であれば不規則な出来事は日常の中に吸収することができる。
ただし、自分の生活をコントロールできないくらいのイレギュラーな出来事には、うまく対応できないということなのだ。
noteを始めてまもなく43か月が経過する。実に3年と7か月。
マメな僕は、これまで書いてきた記事のタイトルを、全てエクセル上に記載している。この執筆リストを見ていると、生活の乱れが出ている時期が明白にわかる。
藤子F記事を書くために始めたnoteなので、タイトルには藤子関係の記事が並んでいるのだけど、生活ペースが崩れると、メインコンテンツの記事の割合が減ってしまう。
一過性の読み飛ばし記事が増加するのである。
noteを始めたきっかけは、コロナが蔓延して、夜の飲み会などが一切封じられたことだった。夜の時間が空いて、この時間を何か別のことで埋めたいと考えたときに、文章を書いてみようと思い立ったのである。
コロナ禍はリモートで仕事するケースも増えて、生活パターンが定型化していったが、この間、noteの執筆も無理なく進めることができた。
通勤時間なども短縮されて、記事執筆の時間を取れるようになったのである。
ところが、昨年の年初あたりからは、世の中におけるコロナがうやむやとなって、いわゆる日常生活が復活することになった。すると、そこでしばしば自分の生活リズムが崩れることになったのである。
コロナ禍では生活のリズムが作れていたのに、コロナが終わるとそのリズムが崩れる。いかにも皮肉な話だが、逆を言えば、「正常な日常」では、生活リズムは乱れがちになるということである。
昨年の秋には、自分の仕事の中ではこれまでにない大イベントを経験した。そしてこの6月はコロナ禍以降初めての海外出張。それらに体調不良なども加わり、生活のペースは大いに乱されたわけだけど、これこそが日常なのかもしれないと思う。
そして、イレギュラーが付き纏う「日常」では、noteの執筆がまず最初に影響を受ける。
記事を残すためには、リサーチして、構想を練って、実際に記事を書かねばならない。それには、ある程度まとまった時間を確保しなくてはならない。
この時間の捻出と、イレギュラーを内包した日常生活は、なかなか両立が難しいのである。
ただし、noteを止めてしまうという選択肢は今のところ念頭にないし、中断も考えていない。
せっかく好評もいただいているし、何よりあと少しで書きたいこともほぼ全て書き終えることができる。終わりが見えているのだ。
生活は今後も大いに乱れていくだろうが、その中でも時間の確保を進めたいと思う。始めたことは最後までやりきらねばならない。そんな意地を胸に秘め、混沌たる日常を送りたいと思う。
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