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核家族の末路に対する24歳女性の葛藤

皆さん、こんにちは。
一人っ子で、パートナーもいなくこのままだと家系が途絶えるプレッシャーを
抱えている24歳女性のサリーです。

これまでこの葛藤は見て見ぬふりをしてきたのですが、
一人っ子なら一度は抱えたことがある問題かなと思い、
今回あえて表に出すことに決めました。

私の立場とは?

少し家族構成の話をしようと思う。
まず父方はとある地域では有名なミカン農家。
父はそこの次男。
長男さん家系は子供が3人いていて、孫も生まれだしている。
このままいけば、父方はまだ大丈夫に思われる。

片や母方は田舎で生まれ育った祖父母が戦後都会に出てきて出会い
結婚した家庭で、母は3人兄弟の真ん中、最終的な孫は私一人。
祖父は次男で、祖母は長女。
祖父母の兄弟で子孫は残りつつはあるけど、
男があまり丈夫に育たず、女性ばかりが残り、
苗字の存続が危ぶまれる。

命のつながりの末端

そんな中、父の実家が遠方にあったこともあり、
私は母の実家家系に育ててもらった。

私自身の家族は、
父が典型的な昭和の日本大手企業のサラリーマンで
各地を飛び回り基本家にいなかったこともあり、
あまり母父と共に家で日常を過ごす家庭を知らないで来た。
ただ父方、母方家系に顔を出すと、
まだまだ日本の典型的な家庭観が残っており、
私は知らない中でも、そこに合わせるように育てられた。

だから少しは日本の核家族になる前の日本家庭のあり方も知っている。

なんせ、母方だけでも祖父母の兄弟がものすごくいて、
小さいころから親戚の集まりには毎回連れ出されていたからだ。
父方の方も、幼少期は年末年始帰っていたから、
まだぎりぎり昔の様子は知っている。

そういうつながりの中で、
私は昔からこの命のつながりの末端が私だという自覚の中で生きてきた。

余裕がなかった青年期

ただ自分の実家だけを見ると、
これまで実は恋愛なんてする余裕はなかった。

自分の周りには社会問題が山ほど溢れていた。
これは現在も変わりはないが、
これらの対処に追われ、自分のことに目を向け
時間を費やす余裕はなかったように思う。

父ほど稼がないと、自分が最終母方だけでも支えないと、
嫁にいくにも、母方の墓守はどうするんだ?
とりあえず大学いかないと。。。

いろいろ肩にのり、もう恋愛するのも、
結婚を考えるのも生きるのさえめんどくさくなっていた時もあった。

とりあえず台湾に行くと決めた時に、
生きることさえめんどくさいという氣持ちからは脱却できたものの、

大学時代、臺灣で恋人ができたときも、
最終これらの問題への執着が抜けきれなくて、
本氣になれなかった。

だから一旦この問題を放り出して、
自分が生きたいように生きてみることにした。

核家族化の末路

そして今日とあることがきっかけに、
この問題に再度直面することになった。
それが私にとある考えを思い出させた。

これは大学生の時に考えてたことなのだが、
核家族化していった先に、待っているのは家系の滅亡。
すなわち民族の滅亡。国の滅亡なのではないかと。

正直私自身、家族というコミュニティで生きてきた時間が短すぎて
どうやって長期的に人と、結婚、出産、子育てまでの道を歩めばいいか本当に未知な世界。

いとこはいるけど、遠方だからこそ参考にはならない。

上の先輩たちとの縁もなくて、長年子供にも触れ合ってなかった。
周りからもなかなか結婚や出産、子供の話は聞こえてこない。

正直このまま年取って、
結婚話もなく、適齢期こえて、子孫を残せなかった罪悪感から逃げるように生きるのかなそう思う時もあった。

私に与えられた課題

ただ最近、自分は地球人であり、
世界のための自分であろうという自覚が芽生えた時、ふと思ったのである。

これがまさしく自分に与えられた課題なのではと。
枠をとっぱり物事を考え動くための課題なのではと。

地球全体に平和をもたらそうとした時、
家や国という強い枠組みは正直争いのもとで、
邪魔になる考え方ではある。
確かに地域によって氣候も自然環境も違うから、そういう違いの捉え方は必要。
けどそこで線引きをして守りに入るから、
争いが起こるわけでさ。

私は地球人として生きるためにも、
この枠組みを取っ払って
魂で惹かれ合う人たちと愛を持って
繋がるために今生きてるだ。
そう感じることができた。

そう思うと、
いままで日本で恋愛がなく、
台湾で恋愛があったけど、
うまくいかなかった理由として腑に落ちる。

この氣づきのために
置かれて壁だったんだ。

今日で一歩前に進めた氣がする。

暗く警鐘を鳴らすための記事なるはずが、
私が壁を飛び越える記事になった。
実に興味深く、面白い。

コラム 兄弟話が羨ましかった話。

やっぱり学校とか職場ではさ、
兄弟おる人たちは、なぜかわからないけど、
ずっと兄弟の話をしているのよね。
私の妹がさとか、兄貴がさとか。
それに悪口が多いこと。

けどさ、そうやって話題にできる人がいることが何より羨ましかったんだよな。

それにやっぱり最初のとっかかりとしては、
話もしやすいし、コミュニティ作りやすいじゃん。

私は話題もないから、聞き役しかできなくて、
だんだんその輪にいるのも、愚痴のもしんどくなって1人になるか、自然と一人っ子や兄弟の話をしない子と仲良くなっていったな〜。

それにさ、私は血のつながりだけでいうと、
甥、姪って絶対にいない存在なのよね。

だからさ職場でそういう話を聞いて、
急にずっと抱えてた羨ましさが溢れてきたのよな。
それをきっかけにこの記事を書こうと思ったの。

人間最後は孤独だって言葉はものすごく実感あるほど
やっぱりずっと寂しかったんだろうな。
お兄ちゃんに守ってもらってる同級生見て、
本当に羨ましかったし、なんで私には味方がいないのって思ったことはあるなぁ。
一時は味方を、仲間を作るのを必死で、
けど満たされなくって次は
1人でも平気だしって言い聞かせて、
それで自分を守るために、ずっと武装していきてきた。

けどやったとさ、その1人は寂しい、
兄弟いる人たちが羨ましい、
自分にも味方が欲しいって感情を
素直に受け止めてあげれるようになった。

やっと幼少期のように、自分を大切にして、
愛で生きれるようになってきたんだな。

本当に周りの人たちのおかげだな。
有難いよ。

まとめ

うん、ここまで書いてものすごくスッキリしている自分がいている。

なんか本当に家という枠組みへの執着はなくなった氣がする。
確かに日本の家制度は子孫を残すために、文明を残していくために
重要なヒントが残されている。

自分は色んな人の繋がりの中で、奇跡の中生まれてきて、だからそのつながりを大事にするだとか、
色んな人が関わって1人の子を育てるという
そういう考え方が大切なだけであって、
苗字とかは実は重要ではない。
てか江戸時代は苗字なかったし。
これは明治から始まっただけのものじゃん。

そう思うとさ、急に執着がなくなって、
導かれるママに、流れに身を任せて生きてみようって思えるようになったな。

多分これでたとえ自分の身体からが子供が生まれなかったとしても、
なんとかなるだろうなって思えた。

おおぉ自分で自分の成長を感じるよ^^

大分ぶっ飛んだ記事になったかと思いますが、
最後まで読んでくださりありがとうございます。

今日は一氣に2本の記事を書いてしまうほど、
色々考えが降りてくる1日でした。

また私も皆さんも
元氣で幸せで樂しく豊かで光ある
一瞬一瞬を生きれることを祈っております。

ではまた次の記事でお会いしましょう。
サリー









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