あの頃とそれほど変わらない C6
本日は、所用で渋谷某所に1日いたわけなんです。
その某所に来たのは人生で2回目なんですけども。1回目に来たのは、就活の時でしたね。もう記憶からは、ほぼほぼ消えていましたけども。
ってか、就活とか何歳ですかって感じですよね。危うく20年ぶりとかを記録しちゃう手前でしたよね。
今みたいに都内に行き慣れた(というか職場が都内だし、渋谷は持ち場だし)感じとは違い、渋谷駅のどこの降り口でどう行くのか…みたいなのの判断がボンヤリとしかできない頃でした。
今考えると、あんなのリアルダンジョンでしたよね。コワイコワイ。
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さて、またお話の続きを。
評議も終盤に差し掛かってくると、口頭での意見の出し合いから変わって、要点をまとめていく作業として、最終的な刑期の長短に関わるようなポイントを3つくらいに絞りこんで、そのポイントについての意見を短くメモで書き出して(当然無記名)貼り出し、そのポイントに対しての大まかなまとめを出すという作業に。
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あ、先ほど『無記名』と書きましたが、そもそも裁判員として呼ばれた人達は、自己紹介などすることもなく番号で呼びあっていました。
こっちが囚人みたい🤔笑
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でも、結局無記名にしたところで、その貼り出れた自分の意見を主張する時には『それは私が書いたんですが…』と話し始めるので、そこまで意味はないんですけどね。
で、そのポイントについてどう思うこう思うをまとめていくと、自分の思いがマジョリティかマイノリティかはっきり分かれたりするんですよね。
そうなってくると内心
『いやいや、そんなわけないっしょ…』
的な事を思って、反対意見側にぶつけてみたくなるんですけど。
そこが難しいところで。個々人がどう感じようが思おうが、結局正解なんてない事についての評議なので
『では、○○が××だとしても、そう思われるのですか?』
という質問が無効化されてしまうんですよね。
法廷で必要なのって、明らかになったファクトなのであって、仮定の話は本当に意味をなさないという事が、個人的に1番勉強になりました。
『評議』と『ディベート』の大きな違いは、それではないかなと思っております。
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