迷い込んだ猫のお話②

改めて思い返すと、モグラとの突然の再開は猫に取って衝撃的な出来事だった。それでも二、三言の言葉と共に立ち去ってしまったのは、孤独に慣れ切った今の自分を変える程のインパクトは無かったからだ。

まだ幼い時。土手添いの猫の散歩道にいつも穴を掘る突き進む姿を見かけていた猫は、見た事も無いその生物に強い興味を抱いてた。

それまで猫は産みの親と共に暮らしていた。散歩や食事も母親と共にし、母親から受ける愛情を認識しながら、その現実に全くの疑念を抱かなかった。

母猫の子に対する態度は次第に豹変して行ったのは、母猫が病魔に襲われてからだった。

悪性の癌を抱えていた母猫は、身体が病魔に蝕まれていく苦痛に加え、死と言う未知の、暗闇へ足を踏み入れる恐怖心を抱き、それは母猫の平常心を奪いながら激しい焦燥感を掻き立てていった。

やがて母猫から餌を貰えなくなった。言動は一切無視される様になった。代わりに激しい罵声と暴力が事あるごとに襲い掛かってくる様になった。幼い猫は、その現実を受け入れる余地もなくただひたすらに悲しみ、苦痛、絶望と言った負の感情を抱き続けていた。

あくる日の朝、微動だにせず横たわっている母猫に触れると、冷たい感触が伝わって来た。その感覚から生気を感じ取る事は、無かった。

その日、猫は独りになった事を自覚した。

母親から痛めつけられる苦痛から解放されたが、自分が独りになった事への寂しさ、恐怖心が悲しみと言う感情で支配してくることを感じた。

そして猫は来る日も来る日、もかつて母親と歩いていた散歩道を歩き回るようになった。

そんなある日に、猫は以前から興味を抱いていた銀色のスコップを持つ茶褐色の動物を見つけた。側まで近づいた猫は、勇気を出してその動物へ話かけた。

「日々穴を掘り進む事が自分の仕事であり、生きている証なんだ」

彼も、自分と同じく独りで生きている事が分かった。互いの共通した境遇は、モグラに対しての親近感を覚えさせた。この日を境にモグラは「仲間」となり、行動を共にする様になるまで時間はかからなかった。

しかし、心の奥底にある寂しさは拭いきれないままであった。

自分本来の居場所、他者から愛される事への激しい渇望が自分を駆り立てていた。

やがて自ら居場所を求める様になった。1対1の信頼関係ではなく、集団の中での自らの地位を確立し多数からの承認、信頼を得る事。それこそが自身の求める居場所であると、猫は内に持つコンプレックスとも言える感情を昇華させていった。

あくる日、自らモグラに別れを告げ、その姿を眩ませた。そして自ら求める真の居場所を見つける為に、再び独りで歩き始めたのだった。

慣れ親しんだ散歩道を今日も歩いていた。散歩道と言っても住宅街にある河川敷の一本道で、景色は辺りを生い茂っている雑草や砂利がただひたすらに視界に飛び込んてくる。この日は天気が良く、日光を浴びながら歩く猫の目にはその雑草も幾分が映えている様に映っていた。そんな時、どこがで聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。

"いつもこの道を歩いているんだね"

その三毛猫は続け様に、"やっぱり君も独りなんだね"と、目の前の猫が最も敏感になるであろう言葉をいきなりぶつけて来た。驚いた表情を見せはしたが、何事も無かったかの様にそのまま立ち去ろうとした。河川敷を降りた所にある細い路地裏で、三毛猫の集落に誘われたのはその後だった。

「君の居場所は既に用意されている。僕について来て欲しい。」

実は今眼前にいる三毛猫とは以前にもあの散歩道で何度か話をした事があったのだ。幼少期。モグラと餌を求め歩いている時にその三毛猫が何度か傍を通りかかった。自分と同じく一人で歩く猫の事が少し気になり、あくる日、先程の三毛猫と同じ言葉を発した。

”いつも独りで歩いているんだね”と。

やはり同じく三毛猫も独りである事が分かった。だがしかし同じ独り者同士でも仲間であるモグラと違う点は、三毛猫は仲間と群れる事を極端に嫌い、早々と猫の前から姿を消した点にある。

そして今、三毛猫はある野良猫が集う集団で幹部となり、仲間となるメンバーを探していた。三毛猫は自分を誘った理由を、「ここまで独りで生き抜いてきた力強さをその眼から感じ取った」からと説明した。本当に自分がなぜ突然仲間に入れて貰える事になったのか、真の理由は定かとならなかった。



車座になった猫の輪の中心にいる黒猫がゆっくりと話を切り出した。「いつも通り人間が寝静まった夜中を狙おう。そして明日朝に各自が獲ってきた獲物をここに持ってくる事。わあったな。」話が終わると輪になった猫達は一斉にそれぞれの住処へと走っていった。

三毛猫の誘いを受け、仲間となる事に合意した2匹は、その足取りで早速会議が開かれている集団の輪へと向かった。

三毛猫が突然自分を誘って来た事に一抹の違和感を覚えてはいたが、居場所を求めていた自分に取っては願ってもないチャンスだった。何より、孤独の暗闇の中に一筋の光が見えた事に、胸の高まりを感じていた。

「ああ、まだ"ここの決まり”を話していなかったね」

黒猫の話が終わり、隣にいる三毛猫が話を続けてきた。「各自はそれぞれ、人間が居る場所に忍びこむんだ。そこで人間に懐いた様に見せかけて、隙を見て餌を盗みここに持ってくるんだ。まあ人間は一度懐いてしまえば僕らに住処を与えてくれるし、ここでは自分の好きな物を食べられるし、仲間も居る。効率的だよね」

そもそも自分はこの集団が一体何を行っている集団なのかを理解していなった。しかし、比較的シンプルなルールを理解するまでに時間はかからなかった。

各々が餌となる獲物を調達し、皆で分け合う。

勿論その取り分はその獲物を獲得した猫が多く得られる事にはなっているが、上層部から順に分け与えて行けば、必然的に自分の取り分は微々たる物となっていく。当然、上層部の猫は分け前を多く得る事が出来、自ら獲得した獲物については分け前の配分を自分で調整する事が可能だ。

三毛猫とは明日の夕方、同じ場所で待ち合わせる事になった。

「初めは僕に付いて来て、僕の動きをしっかり見ておいて欲しい。じゃあ早速行こうか」そう言うと三毛猫は、駆け足で土手を駆け上がって行った。住宅街を駆け抜け、商店街に出ると一軒の八百屋にたどり着いた。

この時点でまだ三毛猫を疑う余地は無かった。むしろこれから待っている生活への期待感の方が圧倒的に勝っていた。三毛猫が続ける。

「おや、今日はもう一匹いるんだね。もう一皿用意しないと」

八百屋の店主は三毛猫ともう1匹の猫へ皿に盛ったキャットフードを差し出して来た。猫は一瞬自分に差し出された物なのか分からず躊躇していたが、三毛猫が食らい付く様子を見て慌てて食べ始めた。

餌を食べ終え少しすると、三毛猫はキャッシャーの上に登りちょこんと座っている。その間、来店した客から皆頭を撫でられ、再会を喜ぶ声を掛けられる三毛猫を見て直ぐにこの猫は人間から愛されている事を感じ取った。

夜になった。三毛猫が猫に言った。

「難しい事は何も無いよ。でも、一番大事なのはここからなんだ。」






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