迷い込んだ猫のお話⑤

まだ薄暗い市場の一角にブロック塀が数段積まれている。潜伏先でこの場所は猫の定位置となっていた。軽快な足取りで物陰に隠れた猫は今日も"その時"を待ち構えていた。

大号令とともにせりが始まる瞬間がある。その瞬間に一気に裏へ回り獲物を確保し、更にその裏口へ待ち構えているもう一匹の猫へ獲物を渡しいく大胆な手法が猫の手口だった。猫自身が立案した手法ではなく、三毛猫から現状これが有効かつ安全なやり方はこれしかないと教わっていたからだ。では何故三毛猫がこの市場に姿を現さないかと言うと、三毛猫は一度この場所で逃走に失敗しているからだ。獲物を引きずりながら走っている所を人間に見つかり追いかけられるも、咥えていた獲物をその場に捨て何とか逃走したのだ。それ以来、市場の人間は商品を盗んでいく部外者の存在に敏感になり、当然警戒を強めて行った。

猫はこの様な状況でも自分が市場に投入された事を意気に感じていた。それは、黒猫が猫の機敏さに対して絶大な信頼を置いていたからであったし、その事は猫も黒猫から直接聞いていたので間違いなかった。

あたりが静まり返った。張り詰めた空気が皆その時を待ち構えている事を物語っていた。

張り裂ける程の掛け声とともにせりが始まった。猫にとっては作戦実行の合図だ。まずは視覚で獲物を捕らえると、素早く、かつ力強く地面を踏み獲物へと向かっていく。

ここまでは全てが順調だった。今日この日に自分が生きて来た中で最大の修羅場を迎える事になるなどとは当然、考えもしなかった。

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