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地元に家を建ててサロンを開きたい!大手ブランドサロン出身スタイリストがシェアリング・ビューティーで叶えた夢

シェアリング・ビューティ―が店舗事業に参入して今年で3年目。記念すべき1号店であるLano by HAIRをオープンした店長の北村 亮が、地元・京都に新しいサロンをオープンいたしました。26店舗目となったこの「Lano by HAIR KYOTO」には、北村自身の夢、そして代表・坂本の思いが込められています。「美容師の夢が叶うお店にしたい」。おふたりに今までとこれからのお店について聞きました。(オンラインインタビュー:2023年9月20日)

■参加者: 
株式会社シェアリング・ビューティー  
 坂本 幸蔵(代表取締役社長)
 北村 亮(Lano by HAIR KYOTO店長・エリアマネージャー)

手に職、で選んだ美容師。まさかのハプニングで東京の有名サロンに内定。


ー北村さんが美容師になろうと思ったきっかけは何でしょうか?社内の自己紹介では「美容師しかなかった」とありましたが‥。

(北村さん)
そうなんです、美容師しかなかったんですよ(笑)
高校の時、あんまり勉強できなかったんで、職人の仕事しかやっていけないなと思ってました。部活が終わった後に、ペンキ屋さんとかタイル屋さんのアルバイトに行ってたんです。ただ、職人の世界って、夏はものすごく暑くて、それで涼しいところで働きたいってなって(笑)。美容院に行ったら、涼しいからこれいいかなと思ったんです。
だから「美容師しかなかった」って言ったら、ちょっとかっこいいでしょ(笑)

Lano by HAIR KYOTO 店長 北村亮
(株)シェアリング・ビューティー 代表 坂本幸蔵

(坂本さん)
出だしから北村さん節すぎます。(笑)

(北村さん)
あと、高校の時に友達の髪の毛を切ってて、それが面白かったのが原点ですかね。そのあと、大阪の通信で3年間美容学校に通ったのですが、僕、一回美容師試験、落ちてるんですよ。

ーえ、美容師免許って95%以上受かるっていう…

(北村さん)
そうです。その5%に入って(笑)。試験に緊張しすぎてロッド飛ばしまくって落ちました。でも免許ない状態なのに、東京のサロンに内定をもらっちゃって。半年後の3月31日に再試験の合否が出るのに、翌日4月1日が入社式。あのとき落ちてたら、地元出なかっちゃうかなと思ってます(笑)

ー1社目は、東京・銀座を旗艦店とした超有名サロンさんですよね。

(北村さん)
大阪の友達が東京のかっこいいサロンを教えてくれました。その当時、お店が200坪くらいあって、スタッフ70〜80人くらい働いていて、こんなお店で働いてたらかっこいいなって思いましたね。地元を出たのは、一人で東京に行ったほうが成長するかなって思いました。

もう一個面白い話があるんですけど。サロンに履歴書を送って面接に呼ばれたんですよ。でもそれが中途採用の面接やって(笑)10人くらい座ってる中、ひとりだけスーツで行ってしまいました。「今までどこで働いていました?」って質問されて「僕、働いたことないです」って言ったもんだから、ドーンって笑いになって(笑)。一人だけ新卒が中途採用の面接を受けている状態で、すごい変なやつに思われて、そこで顔を覚えてもらえました。あの時120人くらい受けてましたけど、なんとか20人の中に入れました。
(※後日、正式に新卒の面接を受け直したそうです。)

ー実際に美容師として働いてみていかがでしたか?
カリスマがいっぱいいるようなすごいサロンでした。バリバリ体育会系だったのですが、今となってはめっちゃいい経験をさせてもらいました。厳しい環境だったので、周りからしたら辛いかなと思うんですけど、自分の経験値が上がって、ここまで毎日勉強させてもらえる環境が、楽しかったです。

ーちなみにLanoの立ち上げを一緒にした関(亜里沙)さんとは前職で一緒だったんですよね?
 
(北村さん)
関さんは一個上の先輩で、その代の女性の中で一番最初にトップスタイリストになった人だったんで、すごい人たちの中で、ちょっと頭ひとつ抜けてました。厳しい時代に泣きながら二人で話した思い出なんかが、関さんとの間柄を縮めてくれました。その時からもう何でも言い合える仲です。

ー美容師になって叶えたいと思った夢は、いつ頃からどんなふうにお持ちでしたか?

(北村さん)
もともと社会人になるときから、地元に家を建てたいっていう目標が、前提にありました。今も母が友人の家に住んでいて、実家と呼べる場所がなかったんです。母に帰れる場所を作ってあげたい。ただ家を建てるためには、京都にお店が必要なので、地元にサロンを建てたい。その二つの夢を持っていました。どの時代もぶれずに、あの高級住宅地にでっかい平屋を建ててやろうっていう気持ちで生きてきました。

一番最初に夢を信じてくれたふたりとのめぐりあわせ

ーそのあとシェアリング・ビューティーに出会い、記念すべき1号店Lano by HAIRの立ち上げとなりました。坂本さんは、どのようなきっかけで北村さん・関さんにお任せすることになったんですか?

(坂本さん)
店舗事業をやりたいけどやろうか迷っている時期に、北村さん・関さんと出会ったんです。自分がそのとき描いてる未来を語ったら、「いいっすね。それ。やりましょうよ。」って言ってもらえたことで、迷っていた気持ちが、突き動かされました。

そのとき語ったのが、店舗を通じて新しい産業を作っていきたいとか、美容室ってエリアごとに紐づくものなので、自分たちが参入することで街自体が活性化させることができたらいいという夢。
思い描くだけなら簡単だけど、結局やるのって難しいよねって思っていたら、北村さんと関さんが始まりを作ってくれたんです。

今は26店舗に広がりましたが、この二人がいなかったら店舗事業をやっていませんでしたし、彼らの前向きなパーソナリティーにとことん助けられました。自分の語った夢を肯定して、巻き込まれてくれたこと、この巡り合わせに感謝してます。

(北村さん)
泣けますね。

ー北村さんは坂本さんにどんな印象をお持ちでしたか。

(北村さん)
第一印象、坂本さんの話を聞いて、常にわーって走ってる人って感じがしたんで、こういう人についていったら勉強にもなるし、自分が停滞したり落ちたりすることはないなって感じました。すごい覇気が出てたんで(笑)

美容師出身ではない違う世界の上司だと、お互いに違う部分を見せられたり、提供し合えるのが魅力的でした。僕はITのことについて全然わかってなかったんで、逆に美容のことは教えられますよと。
最初は周りに相談しても「えぇー」みたいなリアクションだったんですけど、自分の意思が固まってたんで、何言われても笑いで返してました。

僕は世界を見たかったので、自分たちの技術が海外に提供できたりとか、リアルでなくてもITの世界ではやりやすいかなと、感じてましたね。
坂本さんは美容未経験でも、集客においてなど具体的な提案が全然違いました。
美容師だけの固定概念に縛られない考え、美容業界自体をこう変えていこうっていう視点を持っていることに、刺激を受けました。自分がアクセスできない情報が多くて、喋ってても楽しいなって思いました。

店舗ビジネスについて身をもって学んだ1号店

ーさて、その後銀座店オープンとなるのですが、銀座店は2年半で門前仲町に移転することになりました。オープンから移転まで苦労も多かったと思うのですが、どんなご心境でしたか?

(北村さん)
銀座店は、大きな牢獄やと思ってました。(笑)

(一同)
(爆笑)

(坂本さん)
大きすぎましたね、店舗が。

(北村さん)
スタッフが最初少なかったんです。当時はシェアサロンのコンセプトをとっていたので、僕だけ正社員で他が業務委託。みんなは自分らのお客様が終わったら帰るみたいな感じでした。定休日も定めていなかったので、みんながいる時に合間で少し休むみたいな感じでしたね。休めないのはまだ良かったのですが、寂しさはありましたね。

スタッフが増えてきた頃の銀座店。ほぼ現在のメンバーに。

ー坂本さんは、どのような思いで銀座店をスタートしたんですか。

(坂本さん)
銀座は旗艦店になるだろうっていう観点から、大規模な商業施設の中に、満を持して参入しました。でも最初は本当に何も分からないことだらけ。まず箱を作るっていう観点で、固定費が高すぎると通用しないビジネスだってことさえも分かっていなかったです…。

店舗ビジネスは最低限のネガティブシミュレーションで意思決定しないと、うまくいかない産業だと思っています。ネガティブシミュレーションから入ると、うまくいった時に大きく利益が伸びるので、その分スタイリストや、店舗に還元しやすい。

ビジネス観点で勉強はさせてもらったのですが、感情的には、北村さんに申し訳ないなっていうのが一番ありました。責任者として何とかしなきゃっていう風に常に思わせてたと思うし、新しい体制の中、なかなかチームも作ってあげられなかった。この頃は集客も採用も離職防止もPL管理もまだノウハウがありませんでした

お客様が来てくれたらそれが正解。メンバーのモチベーションを一番に。

(坂本さん)
そこから責任者の西さんの後押しもあり、銀座から門前仲町に移転しようと決めました。これがダメだったら土下座するしかねえっていう風に思っている中で、北村さんがそこで、「もう一回再起を図りましょう」って言ってくれたのが唯一の救いでした。

結果、門前仲町店で大成功したのも、やっぱりチームを北村さんが作ってやってくれたからだなと思ってます。地域の特性を見て、普通はあまりやりたがらないビラ配りから取り組んだり、みんなで店舗自体をどうやったらよりよくできるのかということをしっかり考えて、動いてもらいました。今や全店舗の中でも生産性がものすごく高いし、メンバーの成長幅も素晴らしいです。

門前仲町に移転してから見事立て直し、会社でのチーム賞を受賞

ー移転の時、北村さんはどんな心境だったんですか?

(北村さん)
移転の時は、僕は絶対京都店を出す上で、門仲は絶対外せないなっていう思いがありました。門仲で正解を出したら、絶対京都は成功できるなっていう確信があったんで。
門前仲町は、今開発が進んでいるエリアで、競合も少なく、スタイルも作りこまれているサロンが少なかったのでいけるなと。銀座から門前仲町に行くっていうことに対しては、ちょっと美容師が下がるみたいな考え方を持つ人もいると思うんですが、メンバーもお客様が少ない状態だったんで、それよりかはお客様がいた方が絶対いいと思っていた。それを柔らかく伝えていました。場所自体は関係なくて、お客様が来てくだされば、それが正解だし、結果としてメンバーたちのモチベーションが上がるかどうかっていうのを一番大事にしてました。

夢の実現へ、機会を提供するのが経営の仕事

ー見事に門前仲町店を成功に導かれました。そして今回の京都出店・その夢を実現できたきっかけはどんなものでしたか?

(北村さん)
門仲店が盛り上がったのですが、こちらから提案しないと京都のタイミングはないぞと思っていて。そのとき、他店の方に京都店出しませんかとか言われたんです。それで西さん(担当執行役員)にそういう風に言われてるんですけどみたいな感じで、ちょっとこう煽った感じになりました(笑)決まる前から、土地も地元に買ったので。

ーすごい!先に土地まで!!坂本さんはその時、どのように感じていましたか?

(坂本さん)
北村さんが京都店を出したいっていうのがもともとの約束でしたから、ずっとタイミングだけだなとは思ってました。
門前仲町店がうまくいってる中で、北村さんとも話して理解してたのが、ポストが開かないと既存のメンバーにもチャンスができないから、お店にとっても北村さんが出た方がいい。北村さんはシェアリング・ビューティーとしても、坂本個人としても、功労者だと思っているので、その人の夢の実現に対して機会を提供できるのであれば、それが経営の仕事だと思っています。

今回、Lano by HAIR1号店からLano by HAIR 京都として、Lanoの名前がどんどん広がっていくっていうのも、とてもうれしいです。例えば(Lano by HAIRの)宇野さんとか工藤さんとかがお店を出すみたいな話だったら、こういう形もうれしいですね。


ーこれから美容師さんたちの夢を叶える上で、どんなことを大切にしていますか?

(坂本さん)
最初の始まりで北村さんが僕にかけてくれたこと、門仲への移転も一緒にやってもらい、4年ほど本当に頑張り抜いてもらったおかげで、今があり、北村さんの夢も叶えられました。
うちと関わってもらう美容師の方々には、夢を叶えられる店舗にしたいなって思っていて。自分のお店を出したいでも、商品を作りたいでも、メイクもやりたいなど含めて、美容師の人たちの夢が叶う企業を目指していきたいなっていうのが、北村さんと一緒にやり抜いて得たこれからの道しるべです。

個人と企業も信頼関係が重要だと思っています。個人が会社に対する貢献や成果を出せて、その連続の中で個人が実現したいことを会社に提案をして、それを企業が実現する道を探す。成果への伴走をし、機会を連続して提供するのが重要だと思っています。美容師の皆さんともそんな信頼関係を築いていけたら。

ー今回、京都移転の際、たくさんのお客様が北村さんに感謝のメッセージのSNSの投稿をしてくださったり、プレゼントを持ってきてくださったり、見ている側としても心が震えました。10年もお客様との濃い関係を築ける秘訣はどんな点になりますか?

(北村さん)
ずっとお客様に寄り添っていました。
僕の場合は、話をしたくて来てくださるお客様も多かったです。自分も人間味を出すようにしていて、僕が辛い時を見ていてくれてた方たちが、最後まで来てくれたお客様でした。最後の月は本当に、何回もエレベーター前のお見送りで感動して泣いてしまい、美容師しててよかったなと思いました。僕のポジティブな発言で助けてもらったと言っていただいたことも多かったので、やっぱりお客様に寄り添って大事にしてたのが伝わっていたかなと思います。

もうね、2人くらい京都まで来てくれたんですよ。別にそこまで離れてる感じはしないので、インスタでも発信して、お客様を元気にさせたいなって思ってます。

お客様の一生を一緒に歩んでいけるようなサロンに

ーここからどのようなサロンを作っていきたいか・このサロンで実現したいことはどんなことでしょうか?

(北村さん)
京都は、なんかすごいあったかいですよね。どこへ行っても僕は一緒なんですけど、生涯顧客をいっぱい作るお店でありたいなと思っています。その中でも、新しいことを考えてお客様を呼んでいきたいです。人生に携われる仕事なんで、お客様の一生と一緒に歩んでいけるようなサロンにしていきたいと思ってます。

京都店のコンセプトは、スタイリストの価値がしっかり発揮できるような場所をイメージして作りました。
本物の技術を提供したり、カウンセリング能力が高かったりとか、提案力が強かったりとか、スタイリストの価値が他のサロンとは一味違うっていうのを出していきたいですね。

ーこれから一緒に働きたい人はどんな方でしょうか?

(北村さん)
誰でもウェルカムではあるのですが、一緒に勉強し合って、刺激があって、夢がある子ですかね。あとポジティブで愛嬌がある子。人の幸せってやっぱ人それぞれ違うので、いろんな苦労も一緒に明るく乗り越えてくれるような子がいいですね。

ー坂本さんは美容師さんたちとどんなお店を作っていきたいか、また美容師さんたち自身がどのように取り組んでほしいか、その思いを教えてください。

(坂本さん)
全ての店舗を「美容に従事する人たちの夢が叶う会社」にしたいです。北村さんから言ってもらったように、人の夢っていうのは十人十色だと思ってますし、その人の本気が夢に近づいていくような会社にしたいな、と思っています。

5年、10年かけてでもいいので、シェアリング・ビューティーに本気で関わると夢叶えられるらしいよって噂されるような美容室を作っていきたいなと。
そこに従事する人たちが前向きに、一生懸命本気でいれば、お客様も幸せになって、新しい一歩を踏み出すきっかけを作れたり、その連続が街が豊かになっていく。更に日本からグローバルに出て日本の美容技術を伝えることができるまでやりたいです。そこまでは夢の基準値を下げることなくやりたいなと。

僕は美容師じゃないので、お客様を目の前で幸せにすることはできないんですけど、少なくとも美容師の方々の未来やキャリアや機会を作ることができると思っているので、その相互関係を通じて、皆さんと戦っていきたいなあ、と思います。

ーインタビューありがとうございました!おふたりの大きな熱量と絆を感じることができました。京都店もがんばっていきましょう!

興味を持っていただいた美容師の方は、下記のリンクからお気軽にご応募ください。

■採用情報はこちら
Lano by HAIR KYOTO(京都)
https://lanokyoto.hair.cm/

■その他エリア・協業のご相談はこちら
(株)シェアリング・ビューティー公式HP
https://www.sharingbeauty.co.jp/


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