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オランダでルームシェアを始めた友達の暮らし

最近、ルームシェアを始めた。


どんなこと話したらいいんだろう。今カーテン開けたら迷惑だろうか、寝てるし。キッチンの鍋借りてもいいかな。電話は外ですべき?部屋の中でもおっけー?
ただそこにいるだけでたくさん考える。時には鬱陶しいかもしれない。
一人暮らしだったら、そんな必要はなかった。好きな時間に起きて、飯作って、昼寝して、映画見て、また眠りにつく。


全く不自由はなかった。ただ、ちょっと物寂しい気がした。


どんな時に幸せを感じてるんだっけ?とふと考える。


夜に友達と飲んでいる時(特に野外で!)この時間がずっと続けばいいのにな!なんて思う。それがビールではなくコーヒーであっても、夜でなくて昼間であっても、そう思う。


それは美味いビールのおかげ?それともちょっと高めのコーヒー買ったから?
それもあるだろう。しかし、それだけではない。


その時に話した内容とか、何食べたとか、そういうのだけではなくて、その時間そのものが自分にとっては幸せを感じる瞬間なのだと思う。例え高級なビールやコーヒー豆がなくたって、楽しいものは楽しいのだ。


人と住み始めて、そういう瞬間にたくさん出会うようになったと思う。
朝起きておはようといったり、たまにはビールを二人分買ってきてテキトーに会話しながら飲んだり。ポジティブなことを共有することもあれば、ネガティブなことも。会話の内容を覚えていないことだってよくあることだ。


気がつくとやらなければいけない勉強が捗っていたりする。ルームメイトも勉強しているし、俺も頑張ろうとか、夜はワイン開ける約束してるからって昼間は頑張れたり。


そうやって一緒に生活をしていると、次第に勇気をもらえていることにも気づく。
日常に抱える悩みがあって、自分なりにはもがいたりするのだけれど、でも一方でそれはとても些細なことのように思えて、なかなか人には共有できない。


ただ、生活している時にふとそういうことを共有できたりする。パスタ茹でてる時とか。そういう時。そんな瞬間に俺もそれ思ってたわとか、大丈夫だよとかいってもらえたりすると、勇気が出る。これ思ってたのは自分だけじゃないんだって、もうちょっとやってみるかって、背中を押してもらえたりする。


きっと何か大きなことを成し遂げる時っていうのは、そういう小さな後押しがたくさん集まって一つの動きになった時なんだろうなと、思う。大きな話になるが、社会を変える運動とかそういうものって自分が日頃感じる些細な違和感を、とりとめもないものって思わせてくれない、ちゃんと大事な感覚だぞって思わせてくれることから始まるのだと思う。


日本ではまだまだ一人暮らしが主流だ。


それもそれでいいけれど、ルームシェアも結構いいもんだよって言いたいんだな。