なんとなく「満たされない」の原因

特に、
何、というわけではなくても、
なんとなく
「満たされないな」
「空しい」と感じる時って
あると思います。


満たされていない時というは、
今、ここに意識がない時。

しっかりと
「今」を「体験」していないとき
私たちは満たされない感覚になります。

逆に
意識が今、ここにあって
五感が働いている時、

私たちは今をしっかりと体験していることになり、

満たされない、空しい、という
感覚にはなりません。


たとえば、
誰かと一緒にいてもなんとなく空しい、と
感じることってあると思います、

それは相手の身体は目の前にあっても、
意識が、
「ここ」にないから、ということになります、

身体はあっても
意識がこちら(自分)にないとき、
私たちは寂しさや満たされない感覚になりますが、

それと同じことが、
自分自身に起きている、ということになります。


今、ここに肉体はあるのに、
意識は過去にいって、
過去のことを悔やんでいたり、
未来にいって、将来の不安をしていたり、と

まったく、
「今」の自分を
生きていない状態になります。

これが
なんとなく「満たされない」「空しい」の原因。

とはいえ私たちはぼんやりしていると、
不安や心配に
自動的にスイッチが入ってしまうように
できています。

これは防衛本能のひとつなので
仕方ないものですが、

これを自覚していないと、

不安にスイッチが入った瞬間に
また次の不安、そしてまた次の不安と
不安が不安を呼び込み、
どんどんを今、から意識が離れていきます。


追記部分

私たちとは本来、こういう生き物ですから、
そこに気づいておくことが大切になります。


そこに気づいておけば、
不安や心配がきたときに、
意図的に「今」に意識を戻してくることが
できます。


不安や心配が頭をよぎったら、
そこに気づいて、
意識を「今」に戻す、の繰り返し。

瞑想はその訓練のひとつでもあります。

とはいえ、
そもそも私たちが不安や心配になるのは
今の自分の状態が、

本来の自分からズレてますよ、
バランスの取れた自分ではないですよ、
のサイン。

ですから、
不安や心配が来たら、
「あっ、何かバランス崩している部分があるのかも」と
気づいて、
そこを見つめていくことだと思います。


たとえば、
お腹が痛くなったなら
「何かお腹を痛めるようなもの食べたかな」
「体調悪くするようなことしたいなか」と

自分自身を見つめ、原因を探るのと同じように、


不安や心配も
何か自分の中のバランスを崩すようなことがあるから、
そうなっている、
ということに気づくこと。

その日々の練習によって
私たちは、意識的に
「今」を体験することができるようになって、

そして、
なんだか満たされない、
なんとなく空しい、
という感情に陥らずに済むように
なると思います。

年度末、そして、春先は何かと
不安や心配も大きくなる時期です。

意識を、今に戻す、
そんな習慣も少しづつつけてみませんか?

アーユルヴェーダやヨガ、瞑想の習慣は
意識を今に戻す、
今を体験する、の練習です。

できるところから少しづつ、
はじめてみるのはいかがでしょう。

(write by アーユルヴェーダ専門サロンMyCocoon)

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