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Dr.本田徹のひとりごと(20)2007.6.19

炎暑のジャララバードから 
― アフガニスタンをこよなく愛する人たちの粘り強い志 


1.アフガニスタンの医療とJVC

 先月末以来、アフガニスタン東部ニングラハル県ジャララバード市に逗留しています。丸2年間同県のゴレーク集合村を中心に展開しているJVC(日本国際ボランティアセンター)の医療プロジェクトの評価・助言・スタッフ訓練のため、短期専門家として招かれ、安全面の配慮をしていただきながら、市内から車で1時間半ほど離れた、現場を視察したり、日本人やアフガン人のスタッフと一緒に話し合ったり、数回の講義をさせていただいたりして、大きな学びをしています。ジャララバードはこれからが一年で一番暑い季節。日中、寒暖計の目盛は45度位まで上りますが、湿度が日本に比べずっと低いので、大きな桑の木陰に入れば爽やかに感じます。JVCチーム・ハウスの庭に咲く、パシュトゥ語でチャンバルハルと呼ばれ、藤のように房状に垂れ下がった、美しい黄色の花をごらんください。アフガン人のスタッフによると、この花の実は子どもの「はらいた」を治す薬にもなると言います。

 戦火がなお続くこの国では、2003年にBPHS(Basic Package of Health Services:包括的保健サービス計画)という、全国一律の地域医療実施基準が定められ、人口1.5-3万人程度に一箇所のBHC(Basic Health Centre:基本診療所)、その上にCHC(Comprehensive Health Centre:統合診療所)が設置され、住民の健康を守るように求められています。JVCが運営に協力しているのは、ゴレークBHCということになります。
 新生アフガニスタン政府には残念ながら、自前の財源がありません。医療サービス一つとっても、資金は、EU、WB(世界銀行)、USAID(米国国際開発庁)など大口の政府系・国際機関ドナーに全面的に頼り、県ごとにLead(指導的) NGOと呼ばれる保健専門の国際NGOが指名され、県保健局に協力しながら、県内数十箇所に及ぶBHC、CHC全体の管理運営を任されています。ニングラハル県はEUの財政支援を受けたオランダのNGO、Health Net International(HNI)が担当していて、JVCは保健省との契約に加え、HNIとの合意のもとに活動しています。
 JVCは、2001年の「9.11」以後、すばやくアフガニスタンに入り、平和や復興のためのアドボカシー活動をしつつ、さまざまな紆余曲折を経て、2年前ゴレークに本格的な活動地を定め、着実に根を張っていきます。JVC本部現代表の谷山博史さんと連れ合いの由子さん、また私がかつてガザでも世話になった本間一(はじめ)さんらがプロジェクトの基礎を築き、去年から現地代表は谷山さんから藤井卓郎さんに引き継がれ、今回新しく保健専門家として看護師の西愛子さんが赴任。東京事務所では長谷部貴俊さんが、アフガニスタン事業を支えています。
 診療所機能がきちんと回っていくように、現地医療スタッフの雇用・管理、薬剤・臨床検査・機材などのサポートを行っていくほか、コミュニティで働くボランテイア(CHW:Community Health Workerと呼ばれる)の支援など、さまざまな業務が日本人スタッフの肩にのしかかってくるのですが、アフガン人とのよきパートナーシップ精神と献身的な姿勢を保ちつつ、彼らは日々元気に働いています。

2.中村哲先生の謦咳(けいがい)に接する

 藤井さんは、以前、ペシャワール会でも3年間働いていた、パシュトゥ語、ウルドゥー語、ダリ語を自由に操る、この地域で働くために生まれてきたとしか思えない快男児です。彼はアフガン人を愛するがゆえに、彼らに毅然とした態度でいつも臨んでいます。その辺は、師匠筋に当たる中村哲先生の薫陶によるところもあるのかなと感じました。
今回、はじめて、ペシャワール会(PMS)のジャララバード宿舎に、かねて尊敬する中村先生を、藤井さん、長谷部さんと一緒に訪問させていただき、直接お話を伺うという、貴重な機会に恵まれました。中村哲先生については、いまさら私ごときが書くまでもなく、ペシャワールを拠点に、パキスタン北西辺境州およびアフガニスタン国内で、20余年間にわたり、粘り強く、驚嘆すべき医療活動を続けてこられた先覚者です。ことに、PMS病院を中心にした、ハンセン病に関する彼の診療活動、研究実績、医師やコメディカル・スタッフへの教育活動には瞠目すべきものがあります。2005年、マグサイサイ賞受賞の賞金を元に発刊された、‘Hansen's Disease in NWFP(北西辺境州), Pakistan & Afghanistan for co-medical workers’という「ガイドブック」(実際は教科書、石風社刊)は、病理標本、臨床症状、診断法、皮膚症状の豊富なカラー写真、標準的薬物治療法、合併症に対する治療法、リハビリテーションなど、多くのアフガン人患者さんの診療経験に裏づけられた、優れて実践的な指導書となっています。
中村先生とペシャワール会がここ数年来心血を注いでいる事業は、アフガニスタン東部山岳地帯における灌漑用水路建設を中心とする「緑の大地計画」です。旱魃のため砂漠化したニングラハル県北部の農地の回復のため、大河クナール河から取水し、大規模な灌漑路を敷き、何千ヘクタールもの荒蕪地・乾燥地を緑の田畑にしようという壮大な計画で、ちょうどいまは第一期全長13kmの工事が終了し、二期目が始まったところです。実際、この事業のお蔭で広大な農地が耕作可能となり、多数の難民が帰還してきていると聞きます。
私たちは、ダラエ・ヌールの診療所を見学させていただく許可を、中村先生から快くいただき、6月14日に訪問を果たすことができました。

3.ダラエ・ヌール診療所と灌漑路を訪ねて

 ダラエ・ヌールの診療所は緑蔭深い、美しい癒しの場で、24時間急患を受け付けたり、診察料や薬代を徴収しないなど、土地の人びとに篤く信頼され、遠方の別の診療圏からも患者さんが多く見えています。一方で、ややもすると形式優先のBPHS政策に対応することを保健省から求められて、今、試練のときにあるようです。しかし、新任の西野医師、事務一般を取り仕切る竹内氏ら、やる気のあるスタッフががんばっており、より高い目標に向けて、ハードルを乗り越えていってくれることでしょう。
 ダラエ・ヌールからジャララバードへの帰路、一期工事で完成した灌漑水路や取水口を見学しましたが、いのちの水がそれこそ嬉々として水路を奔流し下っていくさまを見て、名状しがたい感動に心を揺さぶられました。護岸のために植えられた十何万本もの柳の木も少しずつ生長し、熱砂の地に緑の点景をなすに至っています。
中村先生の心の中を忖度(そんたく)することなど、失礼千万な限りですが、人の体や心を癒すには、まず大地が癒されねばならないという不退転の信念が、彼の裡で熱塊のように働いているのだろうな、と思いました。

4.カーブルで佐藤真理さんらと再会する

 今回の滞在中、首都のカーブルにも行く機会があり、久しぶりに、元シェア・カンボジア・スタッフだった、助産師の佐藤真理さんとも再会することができました。彼女は、JICA専門家として赴任しており、同じプロジェクトで国立国際医療センターから派遣されている、藤田則子医師(リーダー)、石原医師らともお会いし、この国の新しい保健・医療の動向について、貴重な情報や指導をいただくことができました。

 とくに、このプロジェクト・チームが、マラライ病院という、アフガニスタンの母子保健・医療のメッカで協力活動していることは、地方のクリニック・レベルの医療を担当している、JVCにとっては非常に心強い存在と言えます。佐藤さんの案内で訪問した、カーブル市内のCHCの母子保健活動、またマラライ病院が連携している、‘Terre des Hommes’(人間の大地)というスイスのNGOが支援して現地化した、アフガン人NGOが旧市街で展開している、地域助産師(Community Midwife:普通の助産師よりやや短期の訓練で助産師となり、地域に住んで、安全な母性の実現のために働く)による、訪問助産・保健教育活動には強い感銘と、示唆を与えられました。このNGOの代表であるDr. Noorkhanumは、タリバン時代も通して、Birth Spacing(母性の健康のための出産調整)などの教育活動をアウトリーチで続けてきた、胆力と信念ある女医で、佐藤さんをして、「私はこの人に会うためにアフガニスタンに来たんだとつくづく思いました」と言わしめるほど、感化を受けた由です。

JVCにとっても、コミュニティでの安全なお産をどう実現していくかは、TBA(伝統的産婆)を認めない国の方針や、夜間診療ができないBHCのキャパシティの限界、住民が長年従ってきた習慣や伝統との折り合いということも含め、大きな課題となっています。そんな中で、Dr. Noorkhanumの活動から学ぶことは大きいと思いました。

5.スタッフ向け研修・講義、そしてJVCとの学びあい

BHCでワクチン接種員の説明を受ける藤井代表、本田

 ゴレーク(Gorek)の医療スタッフや日本人向けに、私は計3回の講義を県の中級保健者養成学校の講堂を借りて、行わせていただきました。母子保健、感染症対策、バイオエシックス(医療者の倫理)という3つのテーマを取り上げましたが、地元の看護学生も数名聴講してくれ、好意的な感想を述べてくれたりで、それなりに報われるところはありました。もっとも、この講義・研修は藤井「隊長」の優れた同時通訳があって実現した企画で、その意味でも、彼には頭があがりません。
私にとって、JVCのプロジェクト現場への視察・参加は、20年以上前のエチオピアのアジバール病院以来のことで、非常に刺激的で、頭と心をフルに動員することとなりました。この炎熱と、毎日2-3食のアフガン・カレーとナンも、精神の賦活(ふかつ)につながったようです。ある夜、5年後の自分が夢に出て、本物のイスラム教徒になり、きちんとアラビア語でコーランを朗誦していました! これこそ、真夏の夜の夢ですが、残念ながらそろそろ帰国のときが近づいているようです。それでは皆さんまた、日本でお会いしましょう。

(07年6月17日)

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