見出し画像

Dr.本田徹のひとりごと(5)2005.1.31

看護師のボランティアを考える

専門性と「人明かりの看護」とのはざまで揺れ、鍛えられる能力

去る1月21日に、訪問看護ステーション・コスモスの肝煎(きもいり)で、永寿病院の看護部が私を招き、ありがたくも講演の機会を与えてくださいました。外部にも開かれた「院内勉強会」でしたが、いただいた演題はなんと、「看護師のボランティアを考える」というものでした。医者の分際で、看護師のボランタリズムを論じるのは、相当の知ったかぶりか、厚顔をもってしなければできないことですが、それでも私がこのような講演を引き受ける気になったのは、「看護師のボランティア」と言うとすぐ頭に浮かぶ、具体的なロール・モデル(模範となる人)が2人いたからです。シェアの看護師・工藤芙美子さんと、山谷のリタ・ブルジーさんです。お二人のことは後で触れるとして、今日、「ひとりごと」に書かせていただくのはそのときのお話の内容に基づいたことであるとともに、この機会に触発されて、ボランタリズム(Voluntarism)の原点を、自分の中で確認し、皆さんと共有したいという気持ちも働いてのことです。

臨床の現場にいる医師にとって、看護師さんはもっとも大切な、かけがえのないパートナーですが、看護師がボランティアを目指す必然性というか、内的な動機を考えることは、岡目八目で言わせてもらうと、普遍的なボランティア精神を検討することに通じると思います。
クリミア戦争の従軍看護婦を志願して、後年「看護の革命」を呼び覚ましたナイチンゲールの先蹤(せんしょう)に見習えば、看護師はある意味で、医師以上に、ボランティア的な発想や働き方を、自分の中に必要とする内的な動機をもっています。特に彼女・彼らが、今の日本において、矛盾を生きなければならない存在であることは、看護師の悩みを深くするとともに、患者やクライエントにどう働きかけるべきなのかを真剣に考えさせ、ボランティア的な生き方を選び取らせる機縁ともなります。
なぜかなら、看護師は、法的に規定され、病院などの医療職場で求められ、任されている役割以上に、実際はより大きな課題と責任へ向き合わざるを得ないからです。看護職は、医師以上に、建前(法律)上の矮小性と、現実に求められる役割の過大さとの乖離に悩んでいる存在とも言えるのです。
 ここに、看護職を規定するもっとも重要な法律があります。それは、「保健師助産師看護師法」で、昭和23年に公布され、平成13年の改正で、「看護婦」から「看護師」へと呼称変更されたのですが、この法律の看護師観は終戦直後どころか、戦前から引きずっていた旧態依然たる価値観を、そのまま踏襲しています。
「第五条 この法律において「看護師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじよく婦に対する療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者をいう。」
 
 この古色蒼然たる看護職の 職務内容規定(Job Description)を、2003年に日本看護協会がまとめた、「看護者の倫理綱領」(Code of Ethics for Nurses)と比較してみてください。
「前文:看護は、あらゆる年代の個人、家族、集団を対象とし、健康の保持増進、疾病の予防、健康の回復、苦痛の緩和を行い、生涯を通じてその最期まで、その人らしく生を全(まっと)うできるように援助を行うことを目的としている。
1.看護者は、人間の生命、人間として尊厳及び権利を尊重する。
2.看護者は、国籍、人種・民族、宗教、信条、年齢、性別及び性的指向、社会的地位、経済的状態、ライフスタイル、健康問題の性質にかかわらず、対象となる人々に平等に看護を提供する。
3.看護者は、対象となる人々との間に信頼関係を築き、その信頼関係に基づいて看護を提供する。
4.看護者は人々の知る権利及び自己決定の権利を尊重し、その権利を擁護する。
 (全体で15条まであるが、以下は略) 」

 この綱領文書が、日本の看護の質の向上を願い、現代における看護職の国際的・普遍的な価値観を織りこんだ、非常に格調の高い、妥当な内容のものであることは言うまでもないでしょう。それだけ一層、「保健師助産師看護師法」との格差に、看護師ならずとも惨めな思いを持たざるを得ないのです。
 
 私の尊敬するバイオエシックスの先駆者、木村利人先生(早稲田大学名誉教授)は、「いのちを考える」(日本評論社)という優れた著書の中で、先の第五条の「看護師」定義を踏まえて、こう述べています。 「国際的には、看護婦は法の定義の範囲をはるかに超える業務を担うに至っており、旧来の補助者のイメージは通用しなくなりつつあります。米国では、看護概念の法的な書き換えが1971年から始まり、1977年にすでに31州でナースプラクティショナーが独立の看護業務を行っています。

 基本的には看護職の新しい展開として、独立し、医師と対等に協力しつつ、患者のための医療・看護業務を行っています。全人医療の考え方の下では、医療(キュア)と看護(ケア)を一つに統合しようということになります。

 ケアの専門家(看護婦)が、積極的にキュアへとその活動分野を広げ、主としてプライマリ・ヘルスケアを中心にしつつ、小児科・老人科、さらに全般的な家庭医療などの分野で活躍しつつあります。」

 看護師が独立的な権限を与えられて、医師と対等な協力関係を保ちつつ、地域住民のために、ケアとキュアを統合した形で働いているのは、なにもアメリカやヨーロッパに限った話ではありません。多くの途上国では、医師の数が限られているということもあり、また、地域の自立的なプライマリ・ヘルスケアを実現するという目標もあって、看護師が医師と同様の職務を担っていることが一般的です。とくに、今後、ジェネリック薬を使ったHIV/AIDSに対する抗ウイルス療法が全世界的規模で展開していく情勢の中で、看護師が果たさなければならない、「キュアの提供者」としての役割が飛躍的に増大しそうなのです。日本の看護師が、ボランティア的な問題意識や課題を、みずから引き受けざるを得ない状況にあることは、このように世界で現に進みつつあることとの対比でも、理解していただけると思います。

 さて、「看護職を巡る現在」は、別の視点からすると、専門性の追求という要請と、中島みちさんが、「患者革命」(岩波アクテイブ新書)という本の中で使った卓抜な表現、「人明かりとしての看護」との間で揺れているとも言えます。看護師も近年、クリティカル・ケア、感染症対策、神経難病、緩和ケア、褥創ケアなど、さまざまな分野で専門分化が進み、資格制度を伴うようになってきています。そのこと自体は喜ばしいことであるとして、専門化し過ぎた看護職は、専門医同様に、自分の専門性で「ぐるぐる巻き」にされた存在となってしまう危険性も抱え込むわけです。なぜなら、専門性は「壁」を作りやすく、壁の中、塔の中で胡坐をかき、無意識のうちに患者さんとの距離を拡げてしまうことも多いからです。

 個人的な思い出になってしまい申し訳ないですが、私自身7歳のころ、溶連菌感染後の急性糸球体腎炎に罹り、2週間ほど、当時の国立第一病院(現在の国立国際医療センター)に入院したことがあります。はじめて母のそばから離れて、夜一人で寝るときの心細かったこと。ベッドの中でさめざめと泣いた幼い日の思い出が鮮明に甦ります。そんなとき、看護婦さんがラウンドで部屋に入ってきて、やさしく言葉をかけてくれたり、撫でてくれたりすると、一層泣き声は大きくなってしまうのですが、内心はどんなにうれしかったことか。あのとき体験したものこそが、「人明かりとしての看護」だったのだろうなと、中島さんの本を読んで思い当たったのでした。看護師がどんなに専門家としての道を突き詰めようとも、その専門性に、人明かりやぬくもりがオーラのように裏打ちされていることが、この世に看護という仕事が存在する限り必要なのだと、私は思っています。

 専門性を一つの「殻(から)」や「鎧(よろい)」としてイメージすると、それと対照的なのが「越境」という言葉です。越境は最もボランティア的なテーマで、看護職が未知の分野を切り開こうとしたら、いったんはボランティアとしての無償性・自主性を元手にがんばってみるしかないのです。これは運命みたいなものです。クリミア戦争に赴いたナイチンゲールは、まさに越境者として果敢に振舞ったのでした。看護婦が「卑しい補助婦」の地位に甘んじていた、19世紀後半のヴィクトリア朝時代に、公衆衛生学や統計学の知識を武器に、彼女は医学界や軍の特権的な領域に侵入してきて、すさまじい挑戦状を突きつけたわけです。当時としては、このような看護職の越境は、おそろしくスキャンダラスな出来事だったに違いありません。いずれにしても、ボランティアは普通に言われるほど、安易でも生半可なものでもなく、自己の職業的良心や専門性を賭けた戦いになることもあり得るわけです。
 
 さて、現代において、看護師がそのボランティア性(Voluntarism)を要請され、発揮するようになる場や機会はどんなときでしょうか? 私は一応、以下の6つの場合を考えています。もちろん、他にもあるかもしれませんが、とりあえずこんなところです。
1.難民や自然災害の状況(救援現場)
2.看護イコール教育である場:途上国の開発協力現場、日本の地域・職場・学校
3.在日外国人の保健医療問題に向き合う場
4.野宿の人たちのニーズに応える場
5.障害者の生き方を支える場
6.患者さんと、医療機関(病院・クリニック・介護施設など)・医師との「間」に立つ場
 
#6を除くと 、どれも皆さんにとって想像のつく場合だと思います。実際、今、看護職ボランティアが活躍している現場は、圧倒的に#1-5のことが多いのです。台東区の訪問看護ステーション・コスモスに働く看護師さんたちは、所長の山下真実子さん自身、かつて品川の難民救援センターで働いていた経歴が示すように、ボランティア的なスピリットに溢れた専門家集団と言えます。

 ここで私は、この講演の冒頭で申し上げた2人のロール・モデルのお話に立ち返りたいと思います。この2人は上記の#1-5に関わる場で長年にわたり活動してきた、と言えます。まず、工藤芙美子さんは、苦学しながら、みずから叩き上げるようにして看護師となり、アフリカで働くという少女時代以来の目標を、JOCV(日本青年海外協力隊)派遣のボランティア・ナースとして、マラウイ国の小児医療の場で達成するわけです。彼女は看護における注意深い「観察」(Observation)を重視し、そこから生まれる「気づき」を、患者ケアのみならず、保健問題への地域住民の自発的・集団的な気づきと行動変容に結びつけるような、参加型の実践方法を編み出し、世界各地でみごとな活躍を重ねていきます。

 リタ・ボルジー(Rita Burdzy)さんは、カソリックのメリノール会のシスター兼ナースの方で、いまでも山谷の山友クリニックの中核的な仕事をされています。彼女が1985年に、発足間もないシェアのBon Partage(機関誌)に寄せてくれた文章に、以下のような感動的な一節があります。
「山谷の人々は私をガイジンとしてではなく、お姉さん、リタさん、シスター、先生(teacher)などと呼び、一人の同胞、兄弟姉妹として遇してくれました。山谷の野宿者は、文字通り、全ての持ち物をひとつの紙袋に収め、孤独と疎外と、飢えとアルコール中毒の生を、生きるということのコアで生きているのです。彼らはそのような生き方によって、人種や皮膚の色や信条を越えて、私たちに限りなく呼びかけるのです。」

 工藤さんとリタさんに共通するのは、白衣を着ているとき(=仕事中。現実には彼女たちは病院のナースのように白衣を着ることは、もはやありません)も、白衣を脱いでいるときも、常にナースとしてのスピリットが心に躍動し、その生き方、考え方に生き生きと働きかけていることです。つまり、自分の中の最良・最善のものを動員し、自発的に他者に、形では表わせない大切なものを伝え・共有しようとする姿勢が明確なのです。こうした態度こそが、ボランティアというものの本質を教えてくれているように思います。
 
 さて、さきほど#6でお示しした、「患者さんと医療機関(病院・クリニック・介護施設など)・医師との間に立つ場」とは、なんのことでしょうか。

 これについては、木村利人先生が看護専門職の方々と共同で作られた「看護に生かすバイオエシックス」(学研)という本で紹介されている、「看護エシックスにおける4分割表」が参考になります。4分割表について詳しく説明している時間的余裕が今日はありませんが、医療や看護の場で生命倫理的な判断を迫られたとき、「医学的適応」、「患者の意向」、「QOL」、「周囲の状況」という4つのカテゴリーに分けて問題を列挙・整理し、患者の自己決定を尊重・実現することを支援するような、看護者・医療者共通の判断を形成していくプロセス・作業を言います。もともとアメリカのバイオエシシスト(Bioethicist)、A.R. Jonsen教授らが共同で開発した手法です。

 この本で事例として取り上げられている54歳の建築設計技師で、末期の食道がん患者の場合、ご本人も奥さんも最期を在宅で過ごしたいという強い希望をもち、そのチャンスもありながら、放射線治療の終了後も主治医が帰宅を許さず、結局自分が建てた家に戻ることもなく、病院でなくなるのです。彼の退院・在宅復帰について、ナース側の対応や方針が一貫せず、共通の問題意識をもって、医師に働きかけることもなかったため、後になって病棟のナースたちは、大きな悔いの念に苛まれます。このような状況で、看護職に求められるものこそ、専門性に裏打ちされた一種のボランティア的な精神の働きと行動です。なぜなら、病院のヒエラルキーのもとで医師の指示通りに働いているだけなら、患者の真のニーズや願いを知らずに過ぎてしまったり、知っていても黙殺する結果に終わることもあるからです。なにも医師と対立するということが目的ではなく、患者の自己決定をサポートする看護者としての役割を自覚して、主治医と患者さん・ご家族との間に立って働く、「気づきの存在」としての看護職であってほしいわけです。そこに「看護師のボランティア」の、もう一つのかけがえのないあり方が想定されるのです。

 木村利人先生らの近著「バイオエシックス・ハンドブック」(法研)の、「看護とバイオエシックス」の章の一部を執筆している小西恵美子・長野県看護大学教授は、世界のナーシング・アドボカシーの基本となっている、「看護師の第一の倫理的義務は、患者(またはクライエント)に対して存在する」という原則が、日本の看護の中ではいまだに確立していないことを指摘しています。そこには、患者自身よりは家族の意向を尊重せざるを得ない、日本の文化風土や伝統的な価値観も働いているのでしょう。
まだ存在してしないが、存在すべきものを、存在できるような状況に変えて行く。そこにこそ、ナイチンゲール以来の「看護師のボランティア」の可能性があるのではないでしょうか。法で認められ、医療の現場で求められる看護師の存在形態(現実態)と、自分が理想とし、目指す「可能態」との乖離に気づき、もっと「いのち」に寄り添い、もっと自立した看護のあり方を追求しようと志すとき、ボランティアはすぐれた課題となり得るのです。ただし、ボランテイアは決して「甘えの存在」ではなく、もっとも厳しく自己を律し、専門性と人明かりの看護とのはざまで悩みながら、努力を重ねて行く人です。そのような看護師から問いを突きつけられ、対話を交わしながら、医師もまた成長し、変わっていかねばなりません。21世紀の世界そのものが、あちこちで勃発する戦争や地球生態系破壊のため、破滅の危機に瀕しているとき、しっかりした専門知識と経験と責任感をもった、自発的市民の代表でもある看護職の人々が結束し、活躍してくれることは、「人類村」全体にとっての「人明かり」となるのではないでしょうか。
 (了)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?