見出し画像

Dr.本田徹のひとりごと(73)2019.3.31

拙著の紹介と福島の医療 - SDGs課題としてのフクシマ


新著「世界の医療の現場から-プライマリ・ヘルス・ケアとSDGsの世界を」(連合出版刊)

1. はじめに

久しぶりの「ひとりごと」を手前味噌から始めてしまい、申し訳ありません。
齢70歳を越し私の医者生活も45年となり、シェアを含め協力隊時代から数えると海外医療活動の方も足かけ40年を超えたため、長年の友人・連合出版の八尾正博さんのお勧めをいただき、一年をかけて本を書きました。「世界の医療の現場から-プライマリ・ヘルス・ケアとSDGsの世界を」(連合出版刊)です。
プライマリ・ヘルス・ケアや SDGs(持続可能な開発目標)という面から日本や世界の状況を観察すると、どういう課題が浮かび上がってくるのか、また<いのち>とは何か?などのテーマを、ささやかな個人の体験や考察に基づいて綴ったものです。よろしければお手に取ってください。
この本については、あとでまた触れることになると思います。

2.福島県双葉郡の医療

 さて私は昨年いっぱいで、11年間お世話になった東京の下町、台東区浅草病院での診療活動を止め、今年2月から福島県双葉郡広野町にある高野病院というところで、平日を中心にぼちぼちと働かせていただいております。これまでのシェアの代表業務とともに、週一回の山谷でのボランティア医療活動も、認定NPO法人・山友会のお世話になりながらささやかに続けています。

 ご承知のようにここ双葉郡は、2011年3月11日の東日本大震災とその後に続く福島第一原発事故で甚大な被害を受け、多数の住民が長期の避難生活を余儀なくされ、域内の病院は高野病院以外すべて閉院もしくは休院の状況に追い込まれました。2018年4月から、福島県と医大によって富岡町に30床の双葉医療センター病院が開院し、ようやく救急医療や在宅医療への取り組みが始まりました。

 最近厚労省から発表された日本の二次医療圏335か所の医師充足数の比較調査によると、福島県全体で、医師数は人口10万対177.4と全国47都道府県で下から4番目と、「医師少数県」にランクづけされます。さらに、県内6つの二次医療圏のうち、双葉郡と相馬郡を合わせた相双地域の人口10万対の医師数は91.7と全国平均の238.3を大幅に下回り、二次医療圏全体の335か所中323位と苦境にあります。同じ福島県でも福島医大のある県北地域は、248.9人で65位と逆に医師多数地域に入ることになります。やはり厚労省から発表された、今から17年後の2036年時点の不足医師予測では、一番が埼玉県で5040人の不足、二位が福島県で、マイナス3500人と続きます。この時点で東京は、13295人の医師過剰となる見通しです。埼玉県の総人口が2018年の推計で732万人余りなのに対して、福島県は186万人余りですから、人口比にした場合の福島県の医師不足の深刻さはお分かりいただけると思います。これは福島県が、もともと過疎に歯止めがかからず、医師の確保も困難になっていた中で、さらに2011年の原発災害による追い打ちで、医療者が相双地域からさらに離れていく事態が続いていることの反映と考えられます。

福島県内6つの二次医療圏の医師偏在指標(福島民報 電子版 2019年2月19日)

3. 楢葉町・早川篤雄住職との出会い

 震災翌年の2012年から私は、福島労災病院(いわき市)に週一回外来のお手伝いに入らせていただき、福島の医療の状況をすこしずつ理解するようになりました。
 いわき市には、原発事故後多くの双葉郡住民が避難してきており、さらに除染作業などで全国から働きに来ている何千という作業員の方がたの宿舎も抱え、もともとのいわきの逼迫した医療や保健、福祉にさらなる負荷がかかったのはまちがいないことでしょう。しかし、こうした危機的状況にも、住民や避難民、そして医療・保健関係者がよく理解・自制し合い、最善を尽くして対処されたのは素晴らしいことでした。
 そんな中、私は楢葉町の宝鏡寺という、足利時代から続く古刹の住職で、教員も長く続けてこられた早川篤雄さんのお近づきになる機会を得ました。郷土をこよなく愛するがゆえに、原発のリスクを研究し、事故を予測し、反対運動を率いてきた、和尚の先見性と知恵の深さに大きな共感をもつようになりました。
 早川さんのお連れ合いの千枝子さんも、長年教員をされ、近年は障害者の施設の責任者として、原発事故以降の困難な避難生活の中でも、子どもたちと離れずに過ごされたと聞きます。彼女が避難中に自身で描かれた被災地の絵葉書は、原発災害で大きな痛手を負った双葉の人たちの心情を知る、すぐれた作品ともなっています。
 拙著の中では、早川師のことにも、より詳しく触れています。

原発事故住民訴訟に備える早川篤雄住職
早川千枝子さん作・絵葉書

4.高野病院に入職して

 2月初旬から、私は高野病院の内科医として働かせていただくようになりました。まだ地域の状況が十分理解できたわけではありませんが、認知症や脳血管障害や精神障害などで、入院や介護施設に入所されている地域の高齢者の多くが、原発事故被災後の避難生活の中で、徐々に身体や精神の病におかされていった事実に、この特異な惨害が目に見えないところで人びとの健康に与えた、ダメージの大きさを改めて思い知らされています。それもそのはずで、多くの方がたが、事故前は農村の間取りの広い自宅に住み、田畑や山林や海辺で元気にお仕事にいそしんでいたのに、突然生活と仕事の場を奪われ、美しい自然環境を失い、いつ戻れるという保証もないまま、狭くて窮屈な避難所や借り上げ住宅暮らしを強いられることになったのです。心身の変調を来たしてくるのも無理ありません。

 高野病院は、昭和55年(1980)高野英男初代院長が広野町の高台に開設、精神科と内科の混合病院として地域住民から信頼されてきました。英男先生は人格高潔な方で、患者さんたちからもたいへん慕われていました。彼の書かれたカルテの記載は、まだ多くの入院患者さんについて残されていますが、丁寧で正確な記録とお見受けします。震災後、すべての双葉郡の病院が、入院患者全員の域外移送を行政から強く迫られる中、高野先生は避難によって重症患者などの病状がさらに悪化することを避けるため、閉院はせず、双葉郡内で唯一そのまま診療を続けた病院として注目されました。結果として、この判断は正しかったと言えます。不幸にして、2016年12月高野院長は、不慮の火災事故で亡くなられ、一時病院の存続も危ぶまれますが、外部の応援も得て危機を凌ぎ、現在は娘の高野己保(みお)理事長のもとで、すこしずつ病院機能を取り戻しつつあります。2018年1月からは「訪問看護ステーションたかの」の活動も始まり、2019年1月には広野、楢葉、富岡、川内など近隣地域の30数名の患者さんの訪問看護が行われるようになっています。都市部の訪問看護に比べ、農村部での訪問は一軒から一軒の距離が長く、移動に数倍の時間がかかるため、苦労も多いと思いますが、青木所長はじめ患者さん思いで優秀なスタッフががんばってくれているので、少しずつ住民の認知も広がっていくことでしょう。私自身、早く彼らのチームに加わり一緒に仕事をしていきたいと念願しています。この病院の外来やのスタッフ、事務系の職員も親切で、働きやすい職場であることを実感します。だからこそ、病院の危機の際も職員一同が団結して患者さんと職場を守り切ることができたのでしょう。

松林と高野病院と広野火力発電所

5.SDGs(持続可能な開発目標)の課題としてのフクシマ

 話が変わります。
 従来の国連による「開発」では、2000年から2015年まで続いた、ミレニアム開発目標(MDGs)がそうであったように、開発の対象となるのは、主として開発途上国でした。先進国はそうした「開発」を支援するという、一方的な立場、関係でした。しかし SDGs では、国連加盟のすべての国が SDGs に参加するだけでなく、それぞれの国が直面する SDGs の課題にきちんと向き合い、地球温暖化などグローバルな問題の解決へ向けて努力していくことを求められています。その意味で、2017年9月14日号の英国の医学雑誌 Lancet に掲載された、世界188か国の保健 SDGs 指標を用いた達成度比較結果は、たいへん示唆に富んでいます。この中で、日本は OECD(経済協力開発機構)を中心とする先進国グル―プで21位とあまりパットしない位置に甘んじているのですが、その大きな原因は、1)日本が自然災害・人災に対して脆弱であること、2)高い喫煙率、3)いまなお高い自殺率、4)子どもに対する(性的)虐待が多いこと、が SDGs 的に見て問題とされているのです。

(出典:Measuring progress and projecting attainment on the basis of past trends of the health-related Sustainable Development Goals in 188 countries: an analysis from the Global Burden of Disease Study 2016 Lancet vol 390, p1423-59, Sept. 16, 2017)

保健SDGs指標を使った188か国の達成度順位(Lancet記事 2017年)

福島原発事故は、SDGsという面からみても最悪の災害であり、先の見通せない状況をこの美しい国土に作ってしまったという意味で、本当に「誤った国策」の典型例になったと思います。SDGsは、日本及び日本人が真に「我に返り」、21世紀にふさわしい市民社会を創っいくための重要な手がかりにしていくべきものなのだと思います。

6. 田中正造と明治の賢人たち - SDGsの先駆者として

 私の本の後半で、SDGsという視点から、明治時代に日本の国が三人の優れた先覚者を生んでいたことに、あらためて読者の注意を喚起しました。三人とは、田中正造、南方熊楠、そして若山牧水です。いずれも、困難な状況の中で、日本の豊かな自然や伝統や人権を守るために命を賭けてたたかってくれた人たちです。とくに田中正造の有名な、「真の文明ハ山を荒さず川を荒さず村を破らず人を殺さざるべし」(1912年)という言葉は、SDGsの理念を最も明確に語ってくれたものと私は思っています。そうした、先人の血のにじむような努力が、今の日本を築いてくれたことに感謝し、私たちに託された「時代の仕事」をきちんと引き継いでいかなければならないことを痛感しています。

田中正造晩年の肖像(出典:国立国会図書館)

本田 徹

(了 2019年3月4日)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?