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本を読む:山村淳平著 「入管解体新書 外国人収容所、その闇の奥」 《Dr.本田徹のひとりごと(86)2023.10.20》

「入管 解体新書」カバー

1.

 すべての人は唯一無二の存在で、それぞれの人格、尊厳、自由や人権は尊重されなければなりません。こういう当たり前のことが、こと移住労働者やいわゆる在日外国人、難民に対しては、十分に守られてこなかったところに、現在の入管(入国管理事務所)がかかえる宿痾(しゅくあ)があると言えます。

一方で「唯一無二の仕事」となると、本当にそれを実現した人は少ない。今回、久しぶりに山村淳平さんの『入管解体新書 ― 外国人収容所、その闇の奥』を読んで、これは紛れもなく、唯一無二のお仕事だなと、改めて彼の持続力と、優れた調査・分析能力にいたく感動しました。
 山村さんと私とは、非常に淡い付き合いしかありません。1990年代の前半の5年間くらいのうち、主に横浜の港町診療所で、同僚として働いた3年間が一番交流のあった時期かもしれません。その後、2015年にシェアが主催した、日本国際保健医療学会の東日本地方会で、私が学会長を務めさせていただき、「マイノリティと健康」というメインテーマで、5つの分科会をもち、その一つが移住労働者・在日外国人だったので、ぜひ山村さんに登壇いただきたいということで、お願いしたことがあります。この地方会も、かなりの関心を集め、400人以上の参加者がつどってくださった記憶があります。ちなみに、他の4つのテーマは、2)難民、3)HIV・エイズとセクシャルマイノリティ、4)ホームレス、5)発達障害者でした。

 その後も山村さんは、丹念にそして大胆に、入管問題に深く切り込む仕事を、現場で続けてきました。その成果がこの本には満載されています。おそらく、入管はこの本を非常な興味と、一種の恐ろしさ・警戒感をもって必死に読むでしょうが、正面切った、合理的な反論はできないと思います。それほど、確かな証拠と合理的な思考に貫かれているのが本書だと言えます。

2.

 ここで「解体新書」という本書のタイトルに関して一言。私が、30年以上にわたり通い、関わり続けてきた山谷には、「コツ通り」というところがあります。泪橋の交差点から、南千住の方角に歩いてゆき、アンダーパスを越えたあたりの道路の庶民的な呼称で、もちろん正式な通りの名ではありません。なぜコツ通りと山谷の住人に呼ばれるようになったかと言うと、コツ通りが地下鉄日比谷線のガードを越した先の左側にある、回向院の存在が深く関わっているように思います。そこには、安政の大獄(1858―59年)で咎(とが)を負い、それぞれ時を隔てて小伝馬町の牢屋敷で処刑(打ち首)され、遺体が山谷の小塚原に移されたという、橋本左内と吉田松陰の墓もあります。
 松陰の場合、弟子たちが遺体を引き取ったりしたようですが、引き取り手もない、罪を犯した身分の低い刑死者の遺体が、ろくに埋葬もされず、長年のうちに露出し白骨化した亡骸となって風雨にさらされ、地表に散乱するような様となっていたと考えられます。
 まさにコツ通りという名がふさわしい恐ろしい場所となったわけです。
 この刑場はまた、日本で最初の科学的な腑(ふ)分け(死体解剖)が1771年に、蘭方医の前野良沢、杉田玄白などが参加して行われた土地でもあります。この記念すべき最初の死体解剖が、オランダ語の医学書「ターヘル・アナトミア」の正確さを裏付け、彼らの粒粒辛苦の努力の上、1774年「解体新書」として翻訳出版されました。回向院の入口には、この歴史的な事跡のあった場所として、日本医師会や日本医史学会による碑が掲げられています。

3.

 さて、山村さんの本を読み始めて、私が最初に持った感想は、その卓抜した公衆衛生学的アプローチでした。彼の職場、神奈川県勤労者医療生活協同組合「港町診療所」の初代所長、故・天明 佳臣先生の、日雇い労働者研究の系譜を継いでいるな、と私は思いました。もちろん、山村さんがその見立てに同意するかどうかは分かりません。ただ、天明さんもまた、徹底的に実証を重んじた研究者であり、臨床家でした。彼は、東北地方からの出稼ぎ労働者の労災問題に関心を持ち調べはじめ、その後、彼らを送り出している国元の状況を知りたいと思い立ち、山形県の病院に外科医として赴任し、出稼ぎ農民を送り出すコミュニティが当時置かれていた状況を調査します。後年、東京に戻った天明さんは、今度は農民たちが出向いた先の首都圏の飯場などで、彼らの生活・労働環境、労災、疾病などについて、検診やアウトリーチ活動を丹念に行い、地道な調査報告にまとめていきます。
 日本の出稼ぎ医療に関する天明さんの、貴重で価値あるお仕事は、彼が心血を注いで完成を急いでいらしたのですが、残念ながら病を得て生前にはまとめ切れず、没後の2022年の11月に彼の同志たちによって出版されました。小著とは言え、豊富な事例提示と疫学データが載り、日本の戦後における出稼ぎ労働者たちの、医療面から見た歴史を知る意味で、欠かせない資料と言えます。

「出稼ぎと医療」天明 佳臣・首都圏出稼ぎ者健康管理ネットワーク編著(一葉社)

4.

 移民/移住に関しては、日本国内での移住であろうと、海外からの移民労働者の場合であれ、共通して「押し出し要因」と「引き寄せ要因」がある、と言われてきました。
「押し出し要因」の例ですが、敗戦後の日本では、農家の次男坊、三男坊、四男坊など、家督を継げず、財産ももらえない男児たちの就職は大きな問題で、その解決のために、集団就職や「一本釣り」で、都会の工場などに住み込みの労働者として、多くの若者が、「押し出されて」行きました。彼らは、都市圏の右肩上がりの経済成長に不可欠の人材として、雇用主側にとって「引き寄せ」の対象となったわけです。
 しかし、1972年ころ高度成長時代が移民のピークとなって以降、東北地方の農村地帯などからの出稼ぎ者数も、農村の急速な高齢化、人口減少とともに、減衰していきます。

 1980年代から横浜で、沖仲士など港湾労働者や農村からの出稼ぎ者の労働災害問題に取り組んだ天明さんたちは、その後、減り続ける日本の農村からの出稼ぎ者を肩代わりする存在として政府が政策的な意図から、海外から呼びよせた、ニューカマーと呼ばれる人びとの健康問題に取り組み始めます。代表的なニューカマーは、合法的な滞在資格を与えられた、中南米からの日系二世、三世ブラジル人、ペルー人たちでした。さらには、フィリピン人、韓国人、中国人、加えてイラン人、パキスタン人、バングラデシュ人、インドネシア人などのイスラム圏からの移住者、さらにはアフリカ諸国からの移住者にも、天明さんらのチームは、温かい医療の手を差し伸べていきます。

 具体的な方策として、神奈川県内の港町診療所などいくつかの診療所連合が中心となって1991年に、MF-MASH(Minatomachi Foreign Migrant Workers’ Mutual Aid Scheme for Health)という、一種の医療相互扶助会組織(非公的健康保険制度)を創設し、2000年代初めには、会員が1万人に迫るほど、外国人労働者とその家族からの支持を受けます。
 また港町チームは病気の予防・啓発にも力を入れ、外国人健康相談会をシェアの医療者などと協力して開催してゆきます。
 天明さんが切り開いてくださった在日外国人健康支援の延長線上に、現・港町診療所長で、シェア副代表でもあるの沢田貴志さんらによって1992年に小松川の事務所で始まった、シェアの在日外国人健康支援活動が築かれていきます。

5.

 山村さんの本の書評として書き始めながら、すこし脱線してしまい済みません。
 移住労働者がどこから生まれ、どう日本国内で移動したり、海外からこの国に来たか、天明さんの場合は、東北地方から首都圏をつなぐ線でした。山村さんの場合は、ビルマ人の、とくに少数民族が軍事政権に追われて、バングラデシュやタイの国境に逃れたその現場を、私が「港町」に在籍した時代からたびたび訪れ、難民の人々の声に真摯に耳を傾け、調査や支援をしていました。ずいぶんフットワークの軽快な人だなと、当時から私は感心して、彼の動きを見ていました。
 山村さんは、翻って日本に難民として、または移住労働者として暮らす、さらには入管などの「獄」に長期間不当に繋がれてしまった彼らに密に接し、彼らの基本的人権と健康を擁護する活動をつづけながら、研究者としても詳細な調査・報告を怠らずに続けてきたのです。本書は、そうした彼の見事なまでに一貫した姿勢を証(あか)す、貴重な記録と言えます。
 この本には、入管内での外国人収容者の虐待(死)事例(最近では、2021年のスリランカ人女性ウィシュマさんの死亡事件が特に有名ですが)や、出身国への無茶な強制送還が外国人収容者の死亡につながったり、重大な後遺障害になってしまった事例などが、ふんだんに記載されています。こうした明らかに入管側の瑕疵(かし)による犠牲者が出ても、これまでは、ほとんど裁判にかけられても、入管は免罪されてきました。

 私にとってこの本が啓発的だったもう一つの点は、入管の収容施設の出自に関することです。入管は、もともと、戦前の、治安維持法に基づく特高警察による、当時の在日朝鮮人や中国人に対する取り締まりや処罰の装置としての監獄が、戦後、大村の外国人収容所のような形に移行していき、現在の入管行政に接続している、という彼の指摘です。戦前の日本帝国の暗部をきちんと謝罪・清算・総括した上で再出発した、外国人管理の行政機関でないところに、人権を軽視したり、透明性を欠いた移民・外国人の管理政策の淵源があるとする、彼の主張には説得力があります。いわば、負の遺産を抱えた入管の歴史的な系譜も、山村さんは活写していると思います。

 最後にご紹介しておきたいのは、山村さんが監督として制作に関わった、映像作品のことです。

山村淳平制作・監督「強制送還~終わりなき入管の暴力」

 もちろん素人の創った作品としての粗削りなところはありますが、この短い動画作品は山村さんがたぶん描いたであろう、絵コンテを含め、人の心を動かす真実に深く根差しています。パレスチナ難民やビルマ難民に関しての優れた映像ドキュメンタリーを多く制作してきた、尊敬する、フォトジャーナリストの土井敏邦さんが、この動画をほめているのも納得できます。
 チコちゃんではありませんが、すべての日本人にこの本の一読を薦めたいと思います。

(2023年10月20日)

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