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Dr.本田徹のひとりごと(2)2004.12.6

自己表現としての保健教育: 「メベンダゾールだぞ、おまえらを懲らしめてやる」

さて、前回は個人的な思い出話になってしまいましたが、イントロとして必要なことだったのでお許しください。負戦後の一時期、日本の都会でも田舎でも、子どもの寄生虫保有率は、多分今の途上国なみの50-80%にもなっていたと思います。東京でも汲み取り式の便所が普通でした。各家を回って、屎尿を汲みとっていってくれる人を「おわい屋」さんと呼んでいました。

昭和20年代の信州の佐久で、この回虫症のことを芝居に取り上げ、農村の衛生教育の一環として、積極的に村民の啓発につとめた人がいました。佐久病院の若月俊一先生です。彼には胆石(いわゆるシャクに触るの癪)を題材にした芝居もあり、もしかしたらそちらが「はらいた」だったのかもしれませんが、間違っていたらごめんなさい。「はらいた」を起こした主人公が結局、回虫をもっていることがわかり、駆虫薬サントニンを飲んで治るという楽しい劇を若月さんは書いています。この芝居のもっとも独創的な点は、「虫下し」薬と回虫を擬人化し、患者の腸の中で両者にバトルさせるという趣向です。今回私は、若月先生のオリジナルのおぼろげな記憶を頼りに、擬人化という根幹部分をそのままにして、今日の東ティモールの保健システムの状態などに移し変えた翻案劇の台本を作って、現地にもっていきました。

主人公の子どもは5歳のシコ君。(フランシスコの愛称) シコさんは実は、シェアがエルメラ県に入った2000年以来、仲良く協力しあっているエルメラ・ヘルスセンターのベテラン看護師の名前でもあり、今回彼を訪ね、劇に彼の名を使わせていただいたことの事後承諾を求めたところ、明るい笑顔でOKしてくださいました。

サントニンの代わりに、現在の途上国で駆虫薬としてもっとも一般的に使われている、メベンダゾールとしました。その他、ヘルスセンター看護師にドミンゴさん、シコのお母さん、回虫A,B,Cなどが登場します。私が一番心配したのは、シコの腸の中を舞台にして、擬人化されたメベンダゾールと回虫3匹が大立ち回りをするという設定が、ローカル・スタッフの人たちに、理解できるかどうか、また文化的な受容という点でもOKだろうか、ということでした。しかし、これはまったくの杞憂、うれしい誤算でした。彼らはこの若月流のユーモアを完璧に理解し、笑いを共有してくれ、日本人スタッフ(看護師)の権平美砂子さんがテトウン語にしてくれた台本を渡すと、後は自分たちで配役を決め、どう演じ、場面設定をし、どんな小道具を用意し、使いこなすかもほとんど自力でやりとげました。私が貢献したのは、日本からもっていった、電子レンジ用のアルミ・ホイールを、ボール紙に張りつけてダンビラ(短剣)を作ったことくらいでしょうか。腸の中を示すのに、若月さんの「はらいた」(?)では、大掛かりな腸の模型かなにかを舞台上にセットしていたように思いましたが、今回はパネルシアターで使ったエプロン式の腸の模型をシコが着けて、椅子の上に立つことで十分感じを出すことができました。

彼らが練習中くり返し、「Imaginasi=イマジナシ」(想像力)という言葉を口にしていたのに、私は気付きました。やはり、いかに観客の想像力を引き出すかについて、彼らもまた工夫を凝らしているのです。

さて、今回の芝居で出色の名演技をしてくれたのは、シコ役のノヴィ(Novi)さんとメベンダゾール役のバージニア(Virginia)さんでした。ふたりとも女性で、ノヴィさんは男の子役を演じることになるのですが、あえて男女さかしまの性を演じることが、おかしみを増すことを、これまでの経験から彼らはよく分かっているようでした。明るく陽気な子役を、彼女は見事に演じていました。とくに、メベンダゾールの攻撃で退治された回虫A、B、Cをお尻からひり出すさまを「PUH!」という擬態音を添えて演じるところなどは、品があって(?)、それでいて、おかしみに満ちていて抱腹絶倒の場面でした。一方、バージニアさんのメベンダゾールもまた圧巻でした。彼女がダンビラ(刀)を振りかざし、「Mebendazole」と書いた鉢巻きをして舞台に忽然(こつぜん)と現れ、「私がメベンダゾールよ。ハハー。お前たちがかわいいシコをいじめている悪い回虫どもね。私が懲らしめてやる。」と叫び、まなじりを決して襲いかかってくるさまは、私が回虫Cを演じていたせいもあってか、おかしみの中に、鬼気迫るこわさがあって、イチコロでやっつけられてしまう以外ありませんでした。

振り返れば一昨年ころのバージニアさんは、真面目一本槍の人で、笑みを浮かべることも少なく、保健教育に向いている性格なのかな、と思うこともあったのですが、このような演技を堂々とする人に変身しているとは予想できませんでした。権平さんに後で聞くと、彼らは皆、今や保健教育のとき、子どもや大人から「笑いを取ること」に生きがいを見出しているようなところがある。どうすれば、もっと人々を引き込み、よい反応をしてもらえるか、よく考えながら、演技したり、指導したりするようになっているとのことでした。

まったく、保健教育とは、人々に教えること、伝えることと同じくらい、自己表現、自己達成の道なのだということを、このスタッフたち自身、気づき始めているようなのです。今回の回虫劇は、私にとっても、実りと啓発を与えられるよい機会となりました。


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