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Dr.本田徹のひとりごと(27)2008.10.20

釘村千夜子さんと「ねんねこりん」のぬくもり
― 栗野美代子さんを囲む茶話会のご報告から

 

1.新しい本をもって栗野美代子さんに会いに行く

母親に抱かれて眠った幼年時代の「記憶」は、だれにとってもかけがえのない、心の奥底の宝物ですが、私の場合はなんと言っても、「おんぶ紐」で母の柔らかくて温かい背中に括り付けられ、その上から綿入れにくるまれて、近所の買い物や遠出のたびに連れていってもらったことが、一番の、甘酸っぱい思い出です。そう言えば、このブログの#12「おかあさん、長い間ほんとうにありがとうございました」でも、おんぶ紐に背負われた私が、アンパンをせびって闇市で母を困らせたことを書いています。 
私が乳幼児だった1940年代の末から50年代にかけては、冬の間東京でも実によく雪が積もり、家々の軒先には太い氷柱(つらら)が垂れ下がっていました。暖房と言っても、火鉢や炭のコタツしかない時代でしたから、綿入れやおんぶ紐のありがたさは、「ほっぺた」に感じる外気の厳しい冷たさに比例していたとも言えます。
今度シェアの記念出版、「すべてのいのちの輝きのために-国際保健NGOシェアの25年」(めこん)ができた機会に、この本をお届けがてら、長年お世話になった栗野美代子さんを、京王線・井の頭線、明大前駅のお宅近くの喫茶店に仲間たちで訪ね、久闊(きゅうかつ)をお詫びし、楽しいお話をしてきました。美代子さんは、故・栗野鳳(おおとり)先生の奥さんで、ご夫妻は長年、シェアのみならず、幼い難民を考える会、JVC(日本国際ボランティアセンター)、パレスチナ子どものキャンペーンなど、多くのNGOの育成に尽力されてきました。いつもお二人そろって、会員総会に参加して的確な助言を与えてくださったり、機関誌発送作業のボランティアに気軽にいらしてくださいました。大きな業績を残された方であることをみじんも感じさせないような、鳳先生の飾らない、謙虚なお人柄にいつも頭が下がることばかりで、新しいシェアの本の中でも、私は序章において、先師への感謝の言葉を述べています。

シェア25周年記念の本「すべてのいのちの輝きのために」

さてこの日は、JVC代表の谷山博史・由子さん夫妻、朝日新聞論説委員の水野孝昭さん、シェア事務局長の山口誠史さん、理事の本橋栄さん、助産師の釘村千夜子さん、谷澤一江さん、浜野敏子さん、今回の本で第一部の「シェア通史」の大半を書いてくださった理事の前川昌代さんといった、JVCの創設時代からの友人たちも参加してくれました。

明大前駅で栗野美代子さんを囲んで

 2.「ねんねこりん」のご紹介

 この会ではもうひとつ特筆すべきことがありました。助産婦でもあり、エイズトークやカンボジアの母子保健活動でもご縁の深かった助産師の釘村千夜子さんが、赤ちゃんの人形まで使って実演してくれた、「ねんねこりん」という名の「抱っこ帯」が、皆の喝采を浴びていたことです。

人形で「ねんねこりん」の使い方を実演する釘村千夜子さん

カンボジアにはクローマと呼ばれる木綿地の(絹のものもありますが)、日本の風呂敷に似るが、もっと細長い布切れがあることは、ご存知の方も多いかと思います。このクローマは、物を運ぶ風呂敷から、水浴びのときのバスタオル、寝巻き、赤ちゃんをくるむ布まで、ほとんど数限りない用途をもっていますが、それをもっとおしゃれで、赤ちゃんを抱き運ぶ布として洗練させたものが「ねんねこりん」と言えるでしょうか。ラオスやタイやカンボジアの伝統的な布地を使ってあれば、赤ちゃんが入っていないときは、味わいのある襷(たすき)として身に纏ったり、鑑賞することもできます。釘村さんの助産師としての長年にわたる経験、赤ちゃんやお母さんへの限りない慈しみと使いやすさへの配慮、針仕事(縫製)への深い経験と技能、そしてカンボジアやタイでの幾年もの生活から学んだアジア的な文化や子育ての習慣・知恵からの学びなど、いろんな要素がこの「ねんねこりん」には篭められ、生かされているのだなと実感しました。
実際に「ねんねこりん」を使って赤ちゃんを育てたお母さんのお話だと、子どもがとても安心して穏やかになるところは、まるでお母さんの体内に戻ったような気持ちにさせるためではないか、ということです。
私自身には、時間のかかる細かい針仕事の大変さと、この新案特許申請済みの製品のオリジナリティをすべて皆さんにご紹介することは能力を超えているのですが、下記のホームページをご参照いただき、さらにこれを注文したいとか、千夜子さんの「事業」を助けたいとか、思われる方は、ぜひ釘村さんにコンタクトしてみてください。
http://www.nennekorin.com/
ただ、今のところ彼女は、まったくの注文生産で一つ一つ丁寧に作りあげているので、「ねんねこりん」ひとつ縫い上げるにもかなりの元手がかかってしまうこと、またゆっくりとしたペースでしか求めに応じてあげられないことをご理解ください。
 できれば、手仕事としての温かさや素朴さを残しつつ、彼女のすばらしい「事業」をもうすこし商品ベースに乗せられるように、応援してくれる良心的な企業とか財団のようなものが現れてくれるとよいのですが。・・・・

襷のように折りたたまれた「ねんねこりん」と図入り使用説明書

3.ふくらむ「ねんねこりん」の夢


昔の日本では、子どもは背中に負ぶわれることが普通だったように記憶しますが、それは世界全体の中でも、多数派の習慣なのでしょうか。逆に、母親が体の前に乳児を抱く習慣は世界的にどの程度の拡がり・分布を持って見られるのか? 東ティモールでも、体の前に抱くお母さんが多かったように思いますが、隣のインドネシアではどうなのだろうか。こうした疑問自体、民俗学や文化人類学の調査・考察の対象となりえるテーマなのでしょう。柳田國男の本などを丹念にあたると、ヒントが見つかるかもしれません。また、11月3日に、シェアの25周年記念シンポジウムで講演してくださる関野吉晴さんに尋ねてみたら、地球上をくまなく、這うように歩きまわり、多くの先住民と付き合ってきた彼のような人には、「子どもの抱き方文化」の違いについて一家言あるかもしれません。 
体の前に抱くことのひとつの長所は、子どもと母親もしくは「抱っこ役」の間に、視線の交換や向かいあっての対話ができるようになることでしょう。もちろん、「ねんねこりん」を使って赤ちゃんを抱く役は、お母さんでなければいけないということはありません。これからの世の中では、どんどんお父さんが「ねんねこりん」の上手な使い手になるべきだし、おじいさんがその役を買って出てくれてもよいのです。
さらには、「ねんねこりん」の中に収まって,ちょこっと顔を出しているのが、愛猫や愛犬や愛亀(?)であったり、時にはパソコンだったりしていてもかまわないのでしょう。
「いのちの輝き」を応援する、「ねんねこりん」が、高齢社会の日本で面白い発展を遂げ、さまざまな支持者・使い手に見出されていくことを想像すると、実に楽しくなり、そういう現実が日の目を見るように祈りたいと思います。

 たまゆらをねんねこりんとあそびつつ
      あこのこうべにあかるきひざし

 (2008.10.19)


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