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Dr.本田徹のひとりごと(19)2007.5.10

キルトに篭めた思い
 ― カンボジアに運ばれる日本人の愛の手仕事


「家」のキルトを寄託されるまで

「家」のキルトを寄託されるまで

 安倍首相の「美しい国へ」の論理の柱は、ネーションステート(国民国家)が3月末で葛飾区の堀切中央病院の院長職から引かせていただき、ひとまず臨床医を小休止することにしました。30年以上、病院勤務医をしてきて、精神的にも肉体的にも疲労困憊しており、充電が必要と思ったのです。堀切でも、かれこれ15年間お世話になり、病院の入院患者さんの治療や外来診療はもちろん、在宅医療や山谷への往診など、懸命に働かせていただき、地域医療について大きな学びをさせてもらった年月でもありました。

 この病院の職員の中で、居宅介護支援事業所に在籍していた岩渕扶美子さんを中心として、キルトを作るグループがありました。いわゆるキルティング・ビイー(Quilting bee)です。彼女たちが「家」をテーマに1年がかりで綴り上げたのが、写真にお見せするキルト作品です。20人近い人が縫い上げに参加したり、原画を提供してくれたり、したのだそうです。実に56枚もの絵がパッチワークされており、人間の住む家だけでなく、犬の家まで縫いこまれているのは、参加者のお子さんたちが寄せてくれた原画も採用されているためで、思わず頬笑んでしまいます。ちなみにシェアの理事で、医師の仁科晴弘さんの愛娘さんの作品もこの中にあるのです。ひとつひとつの絵をゆっくり見ていると、図柄、色の使い方、一針一針の細かい、行き届いた技術に打たれるとともに、時間というものの豊かな流れ、共同制作の最良のハーモニー、一人ひとりの縫い手の息遣いや指のぬくもりまで伝わってくるような、実に癒された気持ちになります。

 このキルトはしばらく病院のエレベーターホールに展示されていましたが、その期間も終わり、岩渕さんのロッカーで眠っていたらしいのですが、ある日彼女から、どこか途上国で役立ててもらえないだろうか、と相談されました。

 すばらしい作品だし、ほんとうに喜んでいただけ、また、大切に保管・陳列してもらえる場所をと、いろいろ相談した結果、カンボジアのシエムリエップにある病院で引き取ってくださることになりました。シェアの理事で国立国際医療センターの仲佐保医師が今度カンボジアに出張されるのに合わせ、この大切なキルトを運んでもらうことになりました。

「キルトに綴る愛」

 かなり以前に、「キルトに綴る愛」(監督・ジョセリン・ムーアハウス)という、アメリカン・キルトについてのすばらしい映画を観たことがあります。このブログの読者にもごらんになった方があるかと思います。卒論を書きあぐねているフィンという女子大学院生が、祖母たちの住むカリフォルニアの田舎家に帰ってくる。彼女には結婚を決めた相手がいるのだが、そのことでも悩んでいる。でもおばあさんとその仲間の7人は、温かい無関心を装って、フィンのために、とっておきのウエディング・キルトを、共同で縫い始めてくれるのです。中年から高齢までのキルターたちの、おのおのの愛にまつわる、それこそ辛(つら)くも甘くもある記憶(bitter-sweet memory)の数々を、軽妙な会話やフラッシュバックされた映画のシーンとして織り込み、映画自体がキルト仕立て、すぐれたコラージュとなっているところがさすがでした。

 アメリカン・キルトは、旧大陸から清教徒の移民が持ち込んだものであると聞きますが、さまざまな試練に遭ってきた女性たちが、今はこの世を去ったいとしい人への追憶や、自分たちの共同の記憶を刻むために、折に触れ、何世紀にもわたって連綿と縫いこんできたことが理解できます。これは、同時に、日本赤十字社の大岩豊さんの表現(ボン・パルタージュ122号「エイズを生きる―メモリー・ブックが促す自己回生と家族の絆」参照)を借りると、縫うことによる「自己開示のプロセス」ともなってきたのでしょう。

 そして、このキルトは、これから未知の結婚に船出していく、フィンへの、愛に傷つき、愛に疲れ、老いてはしまったが、でも人間や人生への信頼をなお失っていない女性たちの、はなむけ・勇気づけの織物と見ることもできるでしょう。

「エイズと生きる時代」

 すこし古くなってしまいましたが、池田恵理子さんの「エイズと生きる時代」(1993年・岩波新書)という本の中に、キルトについての印象深い記述があります。(第4章・国際的なボランティアの広がり)。とくに、「感染経路を越えて」という一節には心動かされます。すこし長くなりますが、いかにキルトが人と人の気持ちを深いところでつなぎ、共振させるかということを知っていただくために引用しておきます。

 「メモリアル・キルトには、様々な感染経路によってエイズになった人たちの人生が描かれている。数として多いのはゲイの人たちのキルトだった。私は感染経路によって、亡くなった人への違和感や反発が生まれることはないだろうか、と気になっていた。日本でも同性愛者への偏見はまだ強い。血友病患者のなかにも、『ゲイの人とわれわれを一緒にしてほしくない』と言う人がいた。エイズの番組で、ゲイのグループによる活動を並列して紹介すると、嫌がる人もいた。

 しかし、キルト展を見にきた市民や血友病患者からは、そのような反応はなかった。京都展を見に来て、石田吉明さんは、
 『ザワザワするほど感動している。胸がいっぱいです。亡くなるまでの苦しみや偏見、経済的困難など、国は違っても僕の仲間の死とオーバーラップしてくるんですよ。他所(よそ)ごとに思えない。苦しかったろうなあ、と切なくなるし、いつかわれわれもその苦しみを社会に訴えられるようになる、と勇気が湧いてくる。鳥肌が立つ感じです』と言った。」(p175-176)

 今回岩渕さんたちから寄託いただいた、「家」のキルトは、エイズ・メモリアル・キルトではもちろんありませんが、カンボジアではエイズ孤児やHIV陽性者や他のさまざまな患者さんたちに見ていただく機会も多くあるかと思います。海を渡った、日本人のキルティング・ビーたちの心を篭めた一針一針の集大成が、どんな新しい愛や思いの波を、カンボジアの人びとの間で生み出すのか、今から楽しみにしています。岩渕さん本当にありがとうございました。
 (了 07.5.10) 


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