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Dr.本田徹のひとりごと(18)2007.2.7

新教育基本法から見える21世紀日本の課題


教育基本法改正に際して

 新しい教育基本法が06年12月の国会を通り法律となりました。1947年制定の旧教育基本法は理念法として世界的にも独自なもので、戦後憲法のもっとも大切な精神を体していたものですから、それが改正されたということは、憲法改正を目指す人々にとっては大きな陣地を取った、あるいは、現行憲法という本丸の外堀を埋めたという認識も成り立つでしょう。
 そのことの是非をあげつらうことは、私のこの文章での目的ではありません。ただ、シェアがこれまで目指してきた、あるいは働いてきた、国際協力の領域というのは、保健教育にせよ、プライマリ・ヘルス・ケアにせよ、開発教育にせよ、本質的に「教育」活動と切っても切り離せない関係にあることですので、今回の教育基本法改正をめぐる、さまざまな議論や争いに、高みの見物を極めこんでいることはできません。つまり21世紀の世界に生きる日本および日本人という視点から、今回の法改正の意味や方向性を、深いところで把握・認識しておくことが、私たち市民にとって大切な課題となるのだと思います。

「ル・モア・エ・アイサーブル」(自我は憎むべきものだ)(「パンセ」#455)

 はるか昔、青年海外協力隊に参加してチュニジアで働いていたころ、まじめにフランス語を勉強しようと思って紐解いた(結局はモノになりませんでした)のがパスカルの「パンセ」でした。前田陽一の優れた訳に導かれて探り探り読んだ断想の中で、もっとも鮮烈な印象を与えられたのが、上記の一言でした。武士道的に言い換えれば、神(主君)の前では「自分などというものは、羽毛のごとき存在として扱え」となるのでしょうか。完全で徹底的な自己滅却の後に、新しい「いのち」が自らに吹き込まれるといった体験は、パスカルのずっと後代の同国人で、私たちの時代にいまだ啓示的な光芒を投げかけている、シモーヌ・ヴェーユの生き方を貫いたものでもあったと思います。

 パスカルのことを書くのは、新しい教育基本法が私の心に巻き起こした、疑問・課題に迫るヒントを与えてくれると思うからです。私は、改正された教育基本法には、よいこともたくさん書いてあると感じました。すくなくとも、戦後60年、日本人がなにも学習しないで生きてきたはずはないのです。新しい法律には、文句のつけようのない理念も並んでいます。とくに、第2条「教育の目標」に掲げられた5つの項目は、なかなか説得力をもった条文です。また、旧教育基本法の時代にはなかった「生涯学習の理念」(第3条)などが謳われているのは、新教育基本法の比較優位を示していると言えます。ただ、この法律全体を通して、決定的に欠けているのは、「他者(日本人以外)の存在へのまなざし」です。21世紀において、自分(日本人)がほんとうの自分(日本人)となるためには、ぜひ他者(が保持している異なった文化や宗教や価値観)の存在と、それらとの接触・交流またときに「建設的対決」が必要ですが、新しい教育基本法においては、みずからの中で完結したナルシシスム(自己愛)がなにより強調されていて、「他者(ある場合、神)との絶対的関係性の中で在る自己」といった、パスカル流のきびしい試練と吟味を経た上での「愛国心」は影を潜めているのです。一方では、この新しい法律に必ず盛り込まれていなければならないはずでありながら、言及されてすらいない教育内容が、少なくとも2つあります。国際理解教育(あるいは、安倍晋三首相の嫌いな言葉で言えば「地球市民」教育)と障害者教育です。折しも、国連総会では去る12月13日障害者権利条約が採択されたばかりです。そこで謳われているような、障害者教育における当事者性の尊重や差別の禁止などは、今回の新教育基本法では、薬にしたくても香りすら嗅ぐことはできません。

ネーションステートの命数 

 安倍首相の「美しい国へ」の論理の柱は、ネーションステート(国民国家)が、遠い将来まで永続するものだということが前提となっています。果たしてそうでしょうか。私は、逆に、ネーションステート間のエゴイズムがもたらしてきた戦争や民族浄化やテロや貿易摩擦や地球環境破壊や南北格差やエイズなどの疾病が、人類を滅亡させてしまう前に、新しい世界統治のルールを生み出すことが、これからの100年で大きな課題になると考えます。EUやラテンアメリカで起きている統合化への挑戦は、多大な困難を伴いながらも続いていくでしょう。ネーションステートの命数が、長くてもミレニアム以下だとすれば、国民国家に依拠した愛国心も同様に命数が限られたものです。そこまで根本的に透視した上で教育の行く末を考えたとき、愛国心や郷土愛や公共の精神は、今とは異なった光の相のもとに姿を現してくるのでしょう。
(2006.12.20)


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