見出し画像

《う》Wikipedia【50音で語る】

“あ”〜”ん”まで、50音の頭文字で始まるものを順番に語っていくシリーズ企画です。対象となるテーマは物事、人物、作品など様々。主に自分の根っこに息づく趣味嗜好を掘り下げて、不定期で自分語りをしていこうと思います。

Wikipedia

情報だけを流し込んでいた日々

Wikipediaをとにかく見続けていた時期があります。中学1、2年頃。週末になるたびに1日2、3時間はずっとWikipediaを見ている時期がありました。ページからページへ数珠繋ぎのようにジャンプしていき、最終的にここからここまで来たのかぁと感慨に耽る遊びをしていました。友達いなさすぎ。情報だけが友達だったと言えるでしょう。

この習慣によって昔のバンドのシングルのリリース順や売り上げランキング、昔のドラマの時間帯ごとの変遷、映画の年間興行収入ランキングなどにどんどん詳しくなりました。今みたいにサブスクで作品自体に触れやすい環境はないので内容自体は実際に観てはいないのに、知識だけが増えるファスト教養の走りのような状態になりました。

こんな風に情報だけを流し込んだ日々が後の様々な興味に繋がったのは間違いないですね。ウィキ巡りをしていると自分の知らなかった歴史や情報がこんなにもある、ということに嬉しくなり、同時にこの世の全てを知ることなどできないという程よい諦めも芽生えて、これが好きなカルチャーにだけ没頭する自分を作ったのでしょうね。


しかしそもそもWikipediaといえば真偽の定かでない辞書サイト。当時鵜呑みにして真実だと思っていたことも、後にでたらめだと明かされたり(ベボベの未発表曲のタイトルとか)して、信じきらなくてよかったと思います。陰謀論の種を純朴な人たちの植え付けるのに利用されはしないか?と思ってしまいますが、私はギリ大丈夫でした。

いまだに忘れられぬのが、ある日たった数時間ほどだけWikipediaに載ったある芸人の死去情報。真偽もすぐには分からず、特にファンではなかったけどなんとも言えぬ感情になりました。結局、数週後の爆笑オンエアバトルに出演していてあれは嘘だったのか、と思うに至ったのですがその時まで彼は私の中では死んだ人間だったのです。

ポストトゥルースという言葉は知らなかった頃ですがWikipediaとは簡単に情報の上で人を殺せてしまう媒体なのだ、と恐ろしく思った記憶。あらゆるものが真偽不明になるこの未来に備えてあの経験はデカかったと思います。あの時、私の中で死んだ彼が今、有吉の壁で楽しく鳥人間をやってる姿を見る度に、そんなことを思い出すのです。



#コラム #Wikipedia

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?