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アニメ『ボボボーボ・ボーボボ』をちゃんと考えてみる①(1~24話)

30歳を迎え、子供が生まれ、取るべき資格試験を一応全て終え、人生が一区切りついたように思うこの折。こういう時こそ、自分のルーツに向き合おうと思い今年からNetflixで配信開始となった『ボボボーボ・ボーボボ』を観直してみたのだが、あまりにも私のポップカルチャー体験の原点すぎて感動すらしてしまった。超越、突飛、不条理。好きな表象表現の全てがあったのだ。

『ボボボーボ・ボーボボ』は澤井啓夫・作で2001年~2007年まで「週刊少年ジャンプ」で連載されていた漫画で、アニメ版は2003年~2005年までテレビ朝日系列で放映されていた。初期は土曜日の19:30から放送されており、「あたしンち」と「クレヨンしんちゃん」との合同スペシャルとなった際には20:00~21:00という贅沢な時間&ボリュームで放送されたこともある。

改めて見直すことでその異様さを再確認したし、ゼロ年代前半の奇跡だったことがよく分かる。その奇跡に畏敬の念を抱きつつ、今このタイミングで『ボボボーボ・ボーボボ』をしっかり見返し、何を面白がっていたかということ、そしてどのような“笑い”をプライム帯に刻みつけていたかということを考えてみたいと思う。まずは1-25話、アニメ全体の1/3にあたるパートから始めたい。


圧政への抵抗

まず本作の舞台だが、”300X年の地球“と設定されている。世界を支配しつつあるのが敵であるマルガリータ帝国。皇帝はプロパガンダとして世界中の人々の髪の毛を狩る“毛狩り”を実行しており、それに対抗するのが主人公ボボボーボ・ボーボボとその仲間たち、というのが基本構造だ。

幼少期はあまりそう感じていなかったが、毛狩りというのは極めて暴力的で巨悪に相応しい支配である。若い女の髪を狩ることに喜びを感じる毛狩り隊も出てくるなどその加虐性も高く描かれる。そんな毛狩りという暴力に対し、ボーボボは不条理をぶつけていく。徹底的に相手を煙に巻くスタイルが特に初期ボーボボには顕著である。バトルアニメでありながら、”力“のルールがギャグによって無効化されているのは特筆すべき点だろう。

ボーボボは鼻毛真拳という鼻毛を自在に操る戦術を行う。一般的に無駄毛とみなされる鼻毛が暴力と圧政に対する手段になる、という基本設定は非常にメッセージ性が高いようにも思う。無駄なものが容易に排されやすい時代だからこそ、暴力溢れたディストピアの地球を、ギャグと不条理という無駄でサバイブする冒険譚である『ボーボボ』がNetflixで配信されている意義は大きいと思う。



虚から出ずる存在たち

ギャグを中心とする作品において、今まで持っていなかったものを突然持っていることや、今まで出てこなかったキャラクターが突然そこにいることはままあることだが、『ボーボボ』においてはそれが異様な数ある。虚から出ずる存在が常におり、それらによって戦局すら変わってゆく。第3話では終盤“アヒルパンツ”の話に終始するし、メインの戦闘が疎かになることもたびたびある。

例えばポケットゲームブタなる存在は頻繁にどの場所にも現れ、時にスルーされ、時に巻き込まれる。また第3話で登場する大量のクマは最後にボーボボに意味もなく倒れされるのだが、それ以降クマは助力キャラとしても登場する(ゲチャッピ戦など)。その登場パターンに規則性はなく、当意即妙に配置されているだけ。身も蓋も無く誰かが登場退場を繰り返すのが『ボーボボ』である。

また、執拗なまでに”食べ物“を笑えるワードとしている選んでいるのも特徴的だ。プルコギ、ちくわ、アスパラ、マカロニ。ネギや大根を剣だと言い張り、ただ鼻毛で鞭を打つ技に「マヨネーズ戦争勃発」と名づける、この理屈の無さ。単に語感の良さや、戦闘場面における意外性と脱力を狙ったものだろうが、本来はないはずの意味合いすら付随してしまう(特に”プルコギ“の振り付けの強度たるや)凄みが『ボーボボ』にはあるのだ。


過剰なるコントイン

改めて見返して気づくのは、ボーボボ、そしてこの時期唯一のレギュラー戦闘メンバーである首領パッチははとにかく何かに扮したがる。敵をも巻き込み、家族、同僚、ペット、性別や生物/非生物も問わず様々な役割を演じ続ける。バトルシーンにおいてもこの過剰なまでにコント的なくだりに入り続けるのは『ボーボボ』の特徴だ。第16話では、ただ就職活動を行う若者のコントが放送尺の半分を使って繰り広げられた。とても長い。

コントインのみならず、同じキャラクターにおいても全くその人物の同一性が保持されないのが特徴である。ボーボボは7歳の頃は鼻毛真拳の修行をしていたが、5歳の頃はモビルスーツとして宇宙を駆け巡り戦っていた。物語作品において、これほどまで人物の過去のエピソードが意味を成さない作品も無いだろう。こうしたあらゆる矛盾を意に介さず、テキトーな描写を徹底している。

こうしたキャラクター矛盾を代表する存在がところ天の助だろう。最初は敵として登場し、いつしか仲間になっているのだが、彼は自分自身がところてんであり、「食べられたい」と望みつつ、いざ食べられると「食べられとるがな!」と怒るという凄まじい矛盾を帯びている。しかしこれも、その瞬間に面白いと判断される方向に彼が反応しているだけ。『ボーボボ』の世界において、その役割はかわるがわる剥奪されて切り替わるのだ。



”間合い“の笑い

初期の『ボーボボ』はその戦いの舞台も森や村といった制約の少ないシチュエーションが多い。また仲間側陣営も少ないため、1対1での戦いになりがちであった。それゆえ、ギャグも単発的なインパクトを与えていくようなものが多く、”間合いの笑い"となりやすい。ツッコまずに放置しておく時間、ツッコミきれないほどの事象を一連のひとくだりで出す時間などが多くあるのだ。

それゆえ初期はシュールな印象が強い。敵との戦いはあくまでギャグの装置でしかない。ゆえに第4話では人の心が読めるという手ごわそうな敵キャラをあっさりと使い切るし、お茶づけ星人などという奇異なキャラがツッコミに回ることになる。そのシュールの極みこそがたびたび話題になる"亀ラップ"の回ということであろう。あれほどの置き去りっぷりはあの回以降にはない。

6話~10話のCブロック基地編でようやく目的を遂行するという作劇がなされ、12話以降のAブロック編では遊園地という場所を活かしたギャグが増えるなど次第に展開が明快になる。また、仲間キャラが増えることによって徐々にコミュニケーションも生まれポップな内容となっていく。その意味で、この25話までのボーボボはディスコミュニケーションと不条理に満ちた、最も19:00台に放送されることが異様だった内容と言える。


3/20からは25話~51話がNetflixで配信される。Zブロック編、ハジケブロック編、OVER編、ハレクラニ編、ギガ編という、『ボーボボ』の中でギャグも設定もかなり洗練されていく充実の期間がこの中期である。あの有名な「殺してやるぞ天の助」に該当するシーンもこの時期、ということをお伝えすれば興味を持って頂けるのではないだろうか。今いちど、是非ご覧になってみては。


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