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医者じゃなかったかもしれない

救命センターでの研修3ヶ月目、日に日に増してくる「医者じゃなかったかもしれない」という思いがヤバいので文章化してみて吐き出そうという試みです。4、5月は特に問題なかった。志望してる精神科での研修で、なんとなく将来働いてる自分が想像できるな~みたいな気分で生活してこれたんだけども、6月から始まった救命センターなぁ。最近はコードブルーのポスター見るだけで吐きそうになってくる、青いスクラブが鬱陶しくて仕方ない。

医学部は6年間あって、もうとにかく医者になることのみに特化した勉強だけをやり、医者以外に道はほぼない。逆に言えば就活もなく、だいたいほぼ誰でもどっかの病院で働けるというシステムが出来上がってる。これが強みでもあるし、僕もそう思ってたんだけど、後戻りは非常にしづらい。一方通行なのだ。

医者というのは基本的に安定した職業だし、人のために真っ当に生きてるように見える。あとなんかモテそう。モテに対して悩まなくてよさそうと(この見立ては完全に外れるんだけど、それはまた別の機会にでも、恋愛は僕にとっての巨大な呪いです)、就活しなくてよさそう、この辺りにかなり戦略的な理由が医者を志望した理由だった。アツイ思いはそこまでなかった。しかし勉強は頑張れば頑張るほど点数がついてきたし、努力で何とかなるものだったので、自分からすれば医学部を卒業し、医師国家試験を通るのは、"何とかなる"ものだった。

しかし実際現場に出ると何とかなるものなんかじゃないよねー。現場に入ればもう瞬発力の世界というか、エクストリームスポーツだもん。手際の良さ王座決定戦だもん。じっくり勉強だけしてればよかった世界からいきなり救命センター、眼前に命かかってる人がいるっていう。足すくむじゃん、手震えるじゃん、できないけどなんか見つけてまずやれ、っていうその方針、ムズイです僕には。僕はそういうのできる人間じゃないんです。しっかり手本を示されて、ゆっくり練習してやっとできるっていう。どうも僕には身の丈が合ってないのだ。医者適正テストみたいのを高校の時ガチガチに実施してくれてたらなぁ、こんな向いてないことを免許取ったうえで知らされてもさ!

毎日、「僕・私は医者である」という確信を持って生きている同期たちが羨ましい。なんか全然そうなれない。言われた仕事、やるけど、生き甲斐として携えていける予感がしない。楽しくない。みんなが楽しそうにしてるの、信じられない。

あともう一つ問題なのは、大学生活中にあまりにもポップカルチャー好きになってしまったことだった。昔から好きだったけど、周りのみんなが飲み会やサークルに明け暮れる一方、それらに大した面白みを見いだせず、みんながしっかり大人になるための社交性とかを養ってる間に、ポップカルチャーにずぶずぶに依存する生活を6年間送ってしまった。そうなってくるともう生活はポップカルチャーのためにあるという風に矯正されてしまいまして。音楽、映画、ドラマ、お笑い、いろいろ全部好きだし、全部人生の構成要素として必要不可欠になってしまった。人のために真っ当に生きるとか安定して生きる、とかより、これらを楽しめる最低限のお金さえ得られれば人生として大正解なんだという考えで心が満ちてきている。

今でも相変わらず家に帰ったら寝るまでお笑いライブの映像見たり、音楽を聴いたり、アイドルを見たりして、なんとなく頭を楽しくホカホカさせてから寝る、そして朝起きればまたしても「医者じゃなかったかもしれない」という思いを抑圧して何とか仕事に向かう日々なのです。やはり今でもポップカルチャーが生活の中心にあると言わざるを得ない。もっとポップカルチャー寄りの仕事をしてれば、毎日楽しかったんですかねー!

というか、人生って1チャンスしかできないの激ムズすぎじゃないですか。何が合ってるかどうか全く見当つかない道をひとまず選ばされるのに、後戻りするにはめっちゃ苦労かかるっていう、トンデモないコンテンツなんだよなぁ人生。ゆとり世代、ぬるま湯ライフを送ってきたからこういう発想になるんですかね、みんなは違うんかな。

医者は免許取得後、2年間は研修医として働いて、だいたい2、3カ月ごとにいろんな診療科を回っていくんです。選ぶ科はだいたい自由だけど、必須として三か月・必ず救急センターで実習をせねばならないのです。正直、医大に入る前から、何なら高校の時からこの三か月が地獄だろうなぁという予感はひしひししてた。自己肯定感そがれまくるし、向いてなさに立ち消えたくなりますし。まぁこんな思いも救命センターでの研修終われば無くなるのかもしれないけどもね、ただ今は医者を選ばなかった場合にここにあったかもしれない世界に思いを馳せてしまうのです。


#医療 #ビジネス #苦悩

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