見出し画像

クリープハイプの『夜にしがみついて、朝で溶かして』がすごい良かったって話なんだけど

いやいきなり何って思うかもしれないんだけど、好きだったでしょ、クリープハイプ。最近聴いてないって言ってたか。でもまぁあれか、音楽全般を聴く暇ないみたいな感じか。まぁそういう時もあるよね。随分と忙しくしてるみたいだし。こっちも結構忙しいんだけど、それでも伝えたいのよ新作の良さを!『夜にしがみついて、朝で溶かして』っていう6thアルバム。クリープハイプ聴いてたならこれ一発でクリープハイプのアルバムだな、って思うよね。でも、これがさ、なんか今までと違うの。いや今までのクリープハイプもちゃんといるんだけど、違うんだよ。その辺を今から話していきたくて。

料理って曲が1曲目なのね。結構いきなり驚かない?メシの歌なんて今まであんまりなかったと思う。あっても「ミルクリスピー」とか?でもあれチョコの歌だし、もっと言えば虫歯の歌だもんね。ここまで衣食住における"食"を描く曲ってすごく新鮮で。でも歌詞は「料理」がお題の尾崎世界観ワードラッシュを食らえるから、その点はこれぞクリープハイプ!を味わえるよ。そんで暮らしの歌だからヒリヒリした危うさはないのかなって思いきや音はめちゃくちゃ激しいのよ。このタイトルでこんな凶暴なの来る?みたいな。そのスピード感はまさにクリープハイプの1曲目って思うはず。昔みたいにままならない生活について歌うんじゃなくてもしっかりクリープハイプなんだよね。

その勢いのままでポリコっていうかなり攻撃的な曲に行くんだけど、ずっと牙をむいてる感じじゃなくてサビは意外と穏やかなムードになったりして意外性があるのよ。で、歌ってることが物凄く2021年。2012年頃だったらきっとあんまり歌わなかったんだろうな、っていうテーマで。タイトルで察するかもしれないけど、ポリコレについての歌なのよね。いわゆる「正しくあれ」とか「配慮をしろ」みたいなことに対しての目線というか、、これはこの後に出てくる曲の中でもいくつか触れてたりもしてて、今回はアルバムを通して"清く正しく”あることに対する疑念をちらつかせてる。昔は例えば「あ」とか音楽シーンと戦う曲が多かったけど今はぐっと視野が広がった気がする。見えるものが増えると言わなきゃいけないことってきっと増える。

ワードラッシュ→攻撃的とクリープハイプらしさを頭2曲で全開で聴かせた後に、二人の間ってダイアンに書き下ろした曲が急に来る。音作りが脱力したエレクトロポップみたいなので不意をつかれるはず。この意外性も流れで聴いてこそ、だね。ダイアンverも津田さんとユースケの声の対比がゴイゴイスー、いやスーススー、いやスーを差し上げたいのだけども、、、スーっていうのはまぁ、ダイアンのYouTubeとか、観れたら観てよ。歌詞を読むとそのまま津田さんとユースケの声で脳内再生余裕になるよ。相槌の愛しさを歌った歌だと思うのね。人と人の対話を描く歌で伝えること自体ではなくて何気ない反応である相槌や、会話の"間"を掬い取った点が絶妙に丁度いいのよ。

「二人の間」も多分、初期しか知らないと驚くと思うけど四季もびっくりするよ。春パートではアコギが軽やかに鳴り、夏パートはノイズがぶわっと切なく響き、テンポも変わって秋ではピアノポップ、冬はクリスマスソング風、、シーズンごとに編曲がずつ変わっていくっていう。クリープハイプで出来ることに制約を設けない感じは『世界観』っていう4枚目のアルバムから顕著だったんだけど、このアルバムではここからどんどん出てくるから。あと、季節のことを歌っていながらここまで風景描写のないミュージシャンは尾崎さんくらいだろうね。簡単に自然に癒されたりしない、人間と社会の渦の中でサバイブを続ける彼だからこそ書ける「生の肯定」って感じがする。

ここで愛すって曲が来る。ブス、って読むんだけど、そうそうブス。タイトルの時点でもうこれって尾崎さんの得意とする掛詞だ、と思うよね。意味合いとしてもそうで、「傷つける」でも<愛しのブスがあんたにも 居たんだろ>って言ってたりするし、思慕の念の表現としてこの言葉を使ってるはずで、そのどうしようもない言葉遣いに人間味が出ちゃっててさ。そしてサウンド面が相当新しい。メロウな曲調でホーンの音もリッチで、何より歌声が柔らかい。キーっと思いを叫ぶ感じも、ギリギリな発声ももちろん魅力的なんだけどこのアルバムでは平熱な歌声がすごく心地いい。2020年頭にシングルが出た時にも結構話題になって色んな人に届いたんだよね。でもねぇ、、

思いがけず広まった結果、この「ブス」って言葉だけが独り歩きして、そのワンフレーズを切り取られて結構な言われ方をしたみたいでさ。そうなんだよ、歌詞を読んだら何言いたいか分かるじゃん!って話で、、で、そういう人の向けて作られたのがしょうもなっていう曲。タイトルがもう痛快だよね。ポリコもそうだけど、音楽に言われたことを音楽で返す、これがクリープハイプのカッコいいところだと思う。読み解かなきゃ分からないところとか、<世間じゃなくてお前にお前だけに用があるんだ>っていう根本的なこととかを全部ぶちまけっちゃってる。曲調もシングルにしては久々にグサグサと突き進んでいくようなアッパーな曲でとにかく聴いてて気持ちが良い!

そんな根本を歌った曲の後に一生に一度愛してるよがやってくるわけだけど、これはぴんと来たよね、、!あの名盤、1stアルバム『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』のセルフオマージュで、曲調も「愛の標識」をさらに全解放したみたいな雰囲気。歌詞の随所に過去曲要素を混ぜながら、“初期はよかった”と言いがちなファン心を恋愛に喩えて串刺しにしてくる曲。これはもう完全に見透かされてるな、、と思って怖くなった。こういうちょっと自虐的な内容も6枚アルバムを積み重ねて、これぞ決定版と言える作品が完成したからこそ歌えたのかもしれないなーとか勝手に想像しちゃう。これはっきり言えるけど今作はキャリア史上のベストだよ。遂に1stを越えたのよ!

で、間髪入れずにニガツノナミダが鳴り始める。これは携帯電話会社のCMソングとして随分前に流れてて歌い出しの歌詞は完全にプランナーさんからの提案だったらしい。タイアップ曲とクリープハイプの関係性と言えばそのお題への添い方と尾崎世界観らしさの化学反応が特徴的で、その始まりはサビフレーズの指定があった「憂、燦々」で。それをこんなバンド像にぴったし当てこんで書ける凄みを感じたの懐かしいなぁ、、でも4th『世界観』の頃はちょっと辛さもあったみたいで、それはシングル曲の曲順にも現れてると思うから聴いてみて。思うようにならないことも作品にしてしまえるバンドだけど、今回は歌詞の指定を逆手に取って求められて締切までに曲を作る喜びと苦しみを同時に描いてて表現者としてどんどん強靭になってるんだよね。

次のナイトオンザプラネットのイントロのギターで一気に空気が変わる。夜をゆらゆら漂いながら思い出を手探りするような曲で、過去の記憶をほじくるのを得意とするクリープハイプの本領発揮って感じ。でもサウンドはチルな感じでラップっぽい歌い方も新しいし、同じタイトルの映画について歌詞の中でも触れてたりとか、こんな具体的な引用ってクリープハイプには珍くて妙に生々しい手触りがある曲なんだよね。過去から現在までの距離がどんどん遠くなる。それくらい長生きしてきたんだろうなって思うし、忘れられないことってどんどん増えていく。大人になったクリープハイプの代表曲になるはず。最近映画のほうも初めて見たんだけど、一期一会な会話劇の短編集で洒落てるのかも分からない曖昧な感じが堪らなかったからオススメよ。

ここまで9曲で名盤として申し分ない完璧さがあるのだけどその手堅さをいい意味でひっくり返すのが10曲目のしらす。これはベースの長谷川カオナシが作詞作曲で歌も歌ってる恒例のシリーズで。「火まつり」とか「かえるの唄」とかアルバムの中でも変わった姿の曲を作ってたと思うけど、これは圧倒的に最も異色。ピアノとお囃子のようなリズムで、まるで遠村の民謡のよう。最後はカオナシによるバイオリンと子供たちのコーラスが舞い、どこに連れていかれるのかと思うがよくよく歌詞を読めば命を食べ生きること、生活を営むことの歌でほっとできるんで安心して。こういう特殊なデザインの曲も内包できる、つくづく底知れないバンドでありアルバムだよなぁって。

で、ここから更にアルバムならではの実験作が続くのね。なんか出てきちゃってる、サイケデリックナンバーと言ってもいいと思う、この不気味でつかみどころのない音。たった2行の歌詞がループし続ける中、尾崎さんの語り?ナレーション?ポエトリーリーディング?言い方はわからないんだけど、地声でずっと喋り続けてる。耳をそば立ててると、こっちに向かって話しかけられてるようにも聞こえてくる。何を伝えているのか、詳しくは不明だけど“頭の中にある考え”についてのことじゃないかな?と思ってる。思想や思考まで”こうあるべき“とされる世界の中、抱えてしまった頭の中の良くないとされる”何か“。清く正しくあれない頭の中をほじくってくるような曲。

妖しい曲が続くブロックは次のキケンナアソビで終わり。言うなればこれまでも沢山作られてきたクリープハイプのエッチな曲部門の最新作だね。そういう意味ではド定番かつ十八番な題材なんだけど、そこに甘んじることなくサウンド面では実験性が満載。妖しげで無機質な打ち込みだからこそ演出できた艶やかさがあり、いつも以上によからぬものを覗き聴きしてる感じがあって、「HE IS MINE」とか「ラブホテル」からこういう境地に辿り着くとは?!って驚愕すると思う。曲の内容としてはだらしない、よくない関係を歌っているのだけど、日常的な場面から描いていたところからもっと観念的で五感に響かせる表現に至っていて、筆致でも変化をすごく感じ取れる。

で、モノマネで流れは一気に終盤へと切り替わってく。バラードじゃないのに沁み入っちゃうセンチメンタルなメロディで、アルバムの中でも屈指の名曲だと思う。インディーズ時代の曲で、3rdアルバム『一つになれないなら、せめて二つだけでいよう』で再録された「ボーイズENDガールズ」に出てきたカップルの物語の続編っていうこともあって長く聴いてきた甲斐あるなぁって思うし、久々に聴いた人は「え?あのカップル別れたの?」ってなるはず。曲の中の人物と言えばそれまでなんだけど、虚構の中に確かな存在感を残せるって本当に凄いことだと思う。この手触りとか温もりの"確かさ"っていうのがクリープハイプの音楽をここまで特別なものにしてるのかなって。

そういう、”いたこと”の痛みを描く曲の後に幽霊失格っていう曲が来るんだよね。これはまさに、もういなくなったのにまだいる、みたいなずっと続いてる愛しさの余韻と霊的なものを綯い交ぜにして歌ってるんだよね。コロナ禍っていう色んな人が突然の別れを余儀なくされた出来事があって、そんな時代に出す作品の終わりのほうに「モノマネ」と「幽霊失格」が置かれたというのが凄く意味があると思う。で、その後にこんなに悲しいのに腹が鳴るで終わるっていうのもね。この歌はもう何もかも新鮮。リズムは大ぶりで、シンセの音は歌謡曲っぽくて懐かしい匂いがしてものすごく落ち着く。

このアルバムは<生きたい生きたい死ぬほど生きたい>っていう言葉で終わってて、これが全てだと思う。相変わらずの言葉遊びなんだけど、死ぬほど生きたい、ってなんてクリープハイプな願いなんだろうかって思う。胸が張り裂けそうなことがあっても、立ってられないくらい虚しい気持ちになったとしても、こちらは生きていくしかないんだっていう、諦めにそっくりな顔をした希望が心に灯る。そういうアルバムなんだよね、、だからまぁ僕もあんたに二度と会えなくなって久しいわけでさぁ、、あんたのいない世界になってずっと寂しいんだけどさ、、このアルバムを聴いたらそうは言ってられないね!あっちの世界で過ごしてるあんたの分まで聴きまくることにするよ。長々ありがとうね、僕もこっちで何とかやるから、また話聴いてよね。


 #クリープハイプ #ことばのおべんきょう #独り言

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?