西藤そう

高校教員兼キャリアコンサルタント。社会教育士。アマチュア詩人。「コトをおこす」芸術、そ…

西藤そう

高校教員兼キャリアコンサルタント。社会教育士。アマチュア詩人。「コトをおこす」芸術、そのプロセスの芸術性に興味が出てきた。 大阪大学大学院文学研究科(音楽学)修了。

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詩「つくりて、緑の味」

 産毛の生えた一本のアスパラガスを、焼いて食おうか煮て食おうかと迷ったあげく、丸テーブルの上に置くことにしたんです。そしたらなんとも言えない愛着心に襲われて、結果、冷蔵庫にあったアスパラガスを、もう一本隣に並べて愛でています。  薄々気が付いていたのですが、僕はそのアスパラガスを、もう野菜とは見ることは出来ず、独特のにおいをまとった緑の足が二本、生々しく存在している、と、五感を通して理解していました。足だけなんてとっても可哀想。  とっても可哀想なので、それっぽい部位をそれっ

    • 詩「腹式呼吸」

      いつからか 這いつくばって 人間たちは 街中をうろうろし始めた 地面に腹が擦れる音が 幾重にも重なって  地響きになって 二本脚での歩き方なんて もう思い出せなくて なるべくなるべく  顔を下の方に近づけていたら  やっと安心できた いつしか その安心が 恍惚に変わり 生臭さい世界が出来上がる もう慣れてしまった 私は でもどうしようもない 赤い地球の鳴き声 にやけちゃう

      • 詩「ぱん、ぱん。ぱん」

         フウセンの中で暮らすのも一苦労。つま先立ちをして過ごした三十四年間を是非とも誰か褒めてくれ。何度も破れて萎んだけれど、その度に空気を入れなおして、今ではパンパンに膨れ上がってます。困るのはいくらこっちが気を付けていても、外から誰かが小さい針を刺していて、気付かない間にぷしゅーと空気が抜けていくことでした。確かにゴム臭いといえばゴム臭い僕ですが、これでもなんとかここまで生きてこれました。そんな僕を称えるように、フウセンが宙に浮かんできたとのことです。風に煽られ、目的地もなくふ

        • 詩「ユビが産まれる」

           爪を切ろうとした今日、初めて気が付いたのですが、僕の右足には六本目の指が生えてきているみたいです。  あまりに突然でさりげなかったので、非常にうろたえました。おずおずしげしげ見ていたら、段々違和感が増してきて、どうにもならなくなって右足を地面に何度も打ち付けていると、そいつは無傷でピンピンしてるのに、他の五本指が傷だらけになってしまって、げんなりです。   そもそもこの不快感の正体は何かといえば、白濁したガラス玉みたいな色をしているこいつをなんて呼べばいいのか分からないこと

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        詩「つくりて、緑の味」

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        • 7本
        • 先生!助けて下さい
          3本
        • エッセイ
          2本
        • 短編小説
          3本

        記事

          詩「私の緑のツノが落ちました」

           なぜ人間は自分のツノを隠したがるのかという絶望的な問いについて、考えを巡らせていたら夜が明けた。たとえそれが他人を殺めたかつての道具であったとしても、自分の頭に生えているという事実を無視していいはずがない。仕事ができないのも、勉強ができないのも、友達ができないのも、背が低いのも、全部これのせいだと幼稚に責任を押し付けて、邪魔者扱いするくせに、家に帰ったらこっそり丁寧に磨きあげているのは、そのテカり具合を見たら明らかだ。  みっともない。情けない。そんなことしているから、自分

          詩「私の緑のツノが落ちました」

          詩 “Calling”

           波だ。  波がさっきから僕の頭の中を騒がしている。最初は一つの小さな破裂音だった。それが無数に重なっては重なって、やがて一つの大きなうねりになって、こっちに押し寄せてくる。それを聞くともなく聞きながら、僕は白浜に横たわっていたというわけだ。  目を開けば、白い雲が空を覆っている。見渡す限りの白、白、白の中に、浮かんでいると同時に沈んでいることを実感した僕は、服に付いた細かい砂を払い落としながら、ある衝撃的なことに気が付いてしまった。  僕は白い服を着ている。  いたたまれな

          詩 “Calling”

          詩「イワツバメ」

          トリは 古新聞に乗せられて 月のもと 名前も知らない木の根元まで そっと運ばれた 時折折れた翼を ピクリと動かして この一秒をひとまず生きようとするトリは 偶然にもそこに居合わせた僕に 死に場所を選べと迫ったというわけだ いち、に、さん、と ビニール手袋越しでトリを撫で わずかな生を感じてみても きっと明るくなれば見えなくなる なんて思っていたら 「どこ捨てんの?」 と隣がほざいた そういえば僕らは 死に場所を選ぶために生きてるんだったと 思い直して めまいを覚えて い

          詩「イワツバメ」

          先生!キョーイクのプロなんですからもっと誇りをもってキョーイクしてください!

          〇〇教育が学校に降ってきます。 それに対して学校の先生たちは「いい加減にしろ、教師の仕事をこれ以上増やしてくれるな」といきりたっていますが、この状態は私たち教員にも責任がありませんかね? 教員の口癖の一つに「私たちは教育のプロなんだから…」みたいなんがありますが、え?私たち学校の先生は教育のプロなんですか?キョ、キョーイクのプロ? その言葉を初めて聞いたのは、確か初任者の頃。グフフと笑うムーミンみたいな教頭先生(親しみを込めてます)がドヤ顔しながら言ってきて。その時は「あ

          先生!キョーイクのプロなんですからもっと誇りをもってキョーイクしてください!

          先生!先行き不透明な時代を生き抜くために、自分で自分らしい道を切り拓けって言われたんですけど、漠然とした不安に襲われています!

          「先行き不透明な時代がやってきました。時代はどんどん変化していきます。情報に溢れ、価値観が多様化しており、答えのない問いに向き合い続けないといけません。 終身雇用制度は崩壊しつつあります。いつ会社が倒産してもおかしくないし、リストラだってあうかもしれません。 10年後に今ある職業があるかはわかりません。これからの時代、最も大切なことは、自分で自分の未来を切り拓いていくことです。どんな自分になりたいか、自分らしく生きるためにはどうすればいいか、しっかり自分で考えて下さい。逆に言

          先生!先行き不透明な時代を生き抜くために、自分で自分らしい道を切り拓けって言われたんですけど、漠然とした不安に襲われています!

          先生!ユメを追っても追っても届きそうにないです、助けて下さい!ジブンってなんなんですか?

          なんで日本の進路指導って、自己理解から始まるんだろう。「やりたいことは何か」「自分らしさ」から始めて、そこから職業選びをしていくみたいな流れ。でもよく考えたら、生まれて間もない10代の子どもたちが自分で自分を理解するなんて、到底無理じゃない? そんなことみんな薄々気付いている。なのに先生たちは、 あなたのやりたいことは何? あなたの将来の夢は? あなたが大切にしているものは? あなたらしさは? とかさらっと聞いてしまう。 おい、逆に聞くけど、じゃあ先生よ、あんたの自分ら

          先生!ユメを追っても追っても届きそうにないです、助けて下さい!ジブンってなんなんですか?

          日常があーと

          「日常にアートを!」って言い回しを昔からよく聞くけど、ちょっと違和感を覚える。 日常の中にアートがある環境については大変惹かれるんだけど、「日常にアートを!」って言い方に引っかかる。 そんな言い方をした時、日常とアートになんか妙な距離がないだろうか?非日常としてのアートが、日常生活を異化する、みたいな、そんなスタンス?それってどうなんやろ。芸術って芸術家という特別な存在だけが出来るもの?それを我々一般人がありがたく享受する?さすがアーティスト!我々が考えていることとは全然

          日常があーと

          シューカツコンプレックスを抱えた高校教師がキャリアコンサルタントになった

          キャリコンとしての自己紹介です。 シューカツコンプレックスを抱えている私は、国家資格キャリアコンサルタントを取得しました。高校の進路指導部として、新規高卒就職者のキャリア支援・就労支援を主な領域にし、お仕事が出来たらいいな、と思っています。 なんで自分がここまでキャリア支援に惹かれてるのかなあ、とふと考えてみたのですが、たぶんそれは自分がシューカツコンプレックスを持っているからでしょう。 このコンプレックスと自分がどう向き合っていくのかが、教師兼キャリアコンサルタントと

          シューカツコンプレックスを抱えた高校教師がキャリアコンサルタントになった

          短編小説「遠吠え」(高校生の進路選択についての短編小説です)

          「先生…。俺、もうずっと悩んじゃってて…。体育教師と臨床検査技師、どっちになればいいと思いますか?」 まずは彼のいつもの知的な話ぶりと全く違ったことに驚いたのだが、よくよく考えるとなかなかに深い。あえて馬鹿っぽく質問して自分の未熟さをアピールしてる。が、分かってそれをやっている時点で、彼には十分な知性がある。それでいてその不自然を教師に突き付けないといけないほど、彼は追い込まれてるのだ。健気で賢いあざとい犬みたいだな。 その高校三年生のわんちゃんは、担任の私をキュルルンと

          短編小説「遠吠え」(高校生の進路選択についての短編小説です)

          短編小説「壁の中 ーある男子高校生の殺意ー 」

          生徒相談室のソファーに座った彼の目は、まだ僅かに血走っていた。私はなるべく興奮させないように丁寧に扉を閉め、ソファーの横にオロオロと立つ小柄の若手教員に会釈した。 十分前の授業中に何があったのか、大体のことは副担任から聞いていた。そのため彼が「絶対殺してやる」とぼそぼそ呟き続けているのを見て、正直困惑した。確かに彼は心底怒りを感じたのだろう。でも殺すほどじゃない。 小柄の若手教員が、すみません、すみません、と言うのを止めて、スーツ姿の私はタンクトップ姿の彼の隣にそっと座っ

          短編小説「壁の中 ーある男子高校生の殺意ー 」

          「冬の草」 ー進学校から高卒就職する彼と彼女ー

          ピザ屋に、テイクアウトを取りに行った時、腰の低い店員が別の客に声をかけているのが見えた。彼が自分の教え子だとすぐに気付いたが、名前の最初の文字が出かかったところで、咄嗟に口を噤んだ。雪が散らつく中、ガラス越しの彼の働きぶりを見て、なんとも言えない気持ちになりながら、私はそっと店を後にした。 ***************** 九年前から教員として高校生の就職指導をするようになった。その間、生徒という名の健気でしぶとい草花を見てきた。それらはせっかくつけた蕾が綻ぶことのない

          「冬の草」 ー進学校から高卒就職する彼と彼女ー

          専門性から逃げ続けてたら、noteが書きたくなった

          専門性と向き合うには勇気が必要だと思う。何かを極めるということが怖い。 これまで私は専門性から逃げてきました。 どんな分野でも、それが本当に血肉化に向けて歩み始めようとする瞬間、距離を取ってしまう。そして別の方向に歩き出してしまう。周りからは続けたらいいのに勿体ないと言われる。でも怖いから仕方がないんです。 それなりをモットーにして、自分の限界の端っこが見え始めた瞬間に、都合よく別の面白そうなものが見つかる。表面的には色々挑戦している人だから、お世辞なのかよく分からない

          専門性から逃げ続けてたら、noteが書きたくなった