20年の節目、ありふれた1日
こんばんは
ハンサです
全国的には過ごしやすい日だったかな?
わたしは寝込んでいて外の様子は分からなかったのだけどσ(^_^;)
20年前の今日
2003年5月25日 母が亡くなった
その日のことは今でもよく覚えている
前日夜知らせを受け、病室に駆けつけ
新緑が眩しく映える晴天の午後、母の弟妹たち(わたしから見たら叔父叔母)らと最期を看取った
還暦まであと1ヶ月と少しだった
今週末、夫と掃除を兼ねた墓参りをする予定なので「今日はどうしようか」と思っていたのだけど
冒頭に書いたように
今朝起きた時から頭が重く
日中は脂汗が出るほど悪化して
結局、1日中何もできずに横になっていた
せっかくの?20年という節目の日を
なんだか無駄に過ごしていたのだけど
5月に入ってから
ふと気がつくと両親のことを思い出していたから
「それだけで供養になっているはず」
と、一人娘は勝手に解釈しているσ^_^;
ちなみに父は
1994年3月19日、52歳と1週間でこの世を去っている
こちらは来年で30年…!!
当時わたしはまだ社会人1年目
今年の誕生日で53歳となり、年齢でとうとう父を追い越してしまった
父と母が生きていた頃のわたしは
・会社勤めをして
・独身で
・将来の夢も希望もなく
生きている意味すら見出せず
ただぼんやりと
毎日が過ぎてゆく
そんな覇気のない日々は
今思うと
暗黒というか、暗中模索だった
今はどうかというと
・安心と信頼の中で夫と暮らし
・好きなこと、やりたいことを見つけ
・少しずつだけどそれらでお金をいただき
・共感しあう仲間や友人たちに恵まれて
・近い未来への願望もちょっぴりあって
生前はきっとひどく心配をしたであろうひとり娘のことを、今は安心して見守っているに違いない
先週末参加した『直観とつながる2日間』では
2人1組の1人が目を閉じ、もう1人がサポートして公園内を歩くワークがあった
この時、Yちゃんのサポートがあまりにも素晴らしくて(わたしの仙骨のあたりに手を置き、身体に自由さを与えつつ、しっかりホールドしている!)
わたしはまるで幼子のようにはしゃいで動き(実際裸足になっていた)
Yちゃんはわたしのお母さんのように寄り添ってくれて
緑の上を歩きながら
父と母を思い出して
気を抜くと涙が溢れそうになったりした
いま、この世でやりたいと思うことをやり
楽しんで、笑って
時には怒ったり、泣いたり
そんなふうに瞬間瞬間を生きているわたしは
姿形がない父と母に
どの瞬間においても見守られている
そう気づいたら
わたしに命を与え
いろんな生を体験する機会を与えてくれたこと
ただ、ただ
感謝しかないのだ
たとえそれが
命日だろうと
ありふれた365日の中の1日
いつでも
どの瞬間でも
わたしは見守られ
この世を楽しむために
いま、ここにいる
直観2Daysのふりかえりを少し交えた、
20回目の母の命日でした。
その前に体験した、アルーンコンシャスタッチのリトリート(@妙高高原)のことも少しずつ書きたいと思うけど、、、
テイクサニアスの経緯も含め
その話はまた後日、改めて。
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