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記事一覧
評論・インタビュー・対談・座談会
「美学/詩学と詩のこれから―モデル化、部族化のなかで」(陣野俊史)『現代詩手帖 特集・詩のないところに響くことば』、思潮社、1998年11月、50-62頁(永)
「三十一音への亡命―危機のヴィジョンとしての短歌の言葉」、佐々木幸綱編『短歌と日本人Ⅱ 日本的感性と短歌』、岩波書店、1999年、115-135頁(永)
「夏目漱石『それから』―「それから」という終わりなき問い」『三田文學』1999年
『死の骨董ー青山二郎と小林秀雄』/「解説」,宇野千代『青山二郎の話・小林秀雄の話』所収
『死の骨董』は永原孝道名義の評論作品。宇月原はファンタジーノベル大賞受賞の前年に、『三田文学』に掲載された「お伽ばなしの王様―青山二郎論のために」で第六回三田文学新人賞を受賞している。その後『三田文学』に掲載された二本の論考と併せて2003年に以文社から書籍化されたのが本書。評論家としての宇月原の代表作だ。
青山二郎(1901-1979)は稀代の目利きとして知られ、戦前の古陶磁ブームを牽引した
『イライザのために』/『ワードウォーズー言語は戦争する』
1963年生まれの宇月原晴明は早稲田大学在学中同年の重松清と共に第八次『早稲田文学』の編集に携わり 、卒業後80年代から90年代にかけては本名の永原孝道名義で『現代詩手帖』を中心に現代詩作家/評論家として活動していた。この時期の代表的な仕事が、詩集『イライザのために』と評論集『ワードウォーズ』である。
『イライザのために』は、1994年七月堂刊。近代において詩的言語と大量殺戮が強く結びついて
『安徳天皇漂海記』/『廃帝綺譚』
『安徳天皇漂海記』
元・高麗軍が暴風雨によって壊滅した文永の役から3年。交易商人の鄭文海一行は「元軍を退けたのは一人の老人であった」という奇怪な噂の出所を探し、博多の湊に庵を構える老いた隠者のもとを訪れた。噂の真偽を尋ねる鄭らに、隠者はかつて側近く仕えていた源実朝の話から語り起こす。
建暦元(1211)年、実朝のもとにかつて親王を自称し都を騒がせた〈天竺の冠者〉が現れる。冠者が江の島の洞穴に
『黎明に叛くもの』/『天王船』
『黎明に叛くもの』
戦国時代を代表する謀叛人として名高い斎藤道三・松永久秀の二人は、幼い日に〈山の老人〉果心居士のもとでペルシア渡来の暗殺術〈波山(ハサン)の法〉を習得した兄弟弟子だった。共に天下を目指すと誓った二人のうち、阿波三好家に仕えた久秀は妖術を縦横に駆使して一時は都の支配者にまで昇り詰める。一方道三は美濃一国を手に入れるも、自身は天下人の器ではないと思い切り、娘婿信長に期待をかけ死の
『聚楽ー太閤の錬金窟(グロッタ)』
「殺生関白」豊臣秀次の正体は、落城する小谷城から秀吉によってひそかに救出され匿われた浅井長政とお市の遺児・円寿丸だった。信長とお市への憧憬を忘れられない秀吉は、秀次に跡を継がせることで失われた過去を取り戻そうとしていたのである。しかし、イエズス会の目を逃れて日本に潜入した異端派グノーシス主義者のギヨーム・ポステルと接触した秀次は自身の正体を知ると、姉の茶々と共に秀吉への復讐を誓う。ポステルの狙い
もっとみる『信長ーあるいは戴冠せるアンドロギュヌス』
1930年のベルリン。映画撮影のためベルリン滞在中のアントナン・アルトーは日本人青年総見寺龍彦と出会う。総見寺によれば、〈日本の王〉織田信長はローマ皇帝ヘリオガバルスと同じく両性具有者(アンドロギュヌス)であったという。折しもヘリオガバルスを主人公とする小説の構想を練っていたアルトーは興味を引かれ、総見寺と共に調査を進める。二人は信長が祀る牛頭天王は古代オリエントの太陽神・牛神バールが流れ着き名
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