『聚楽ー太閤の錬金窟(グロッタ)』

 「殺生関白」豊臣秀次の正体は、落城する小谷城から秀吉によってひそかに救出され匿われた浅井長政とお市の遺児・円寿丸だった。信長とお市への憧憬を忘れられない秀吉は、秀次に跡を継がせることで失われた過去を取り戻そうとしていたのである。しかし、イエズス会の目を逃れて日本に潜入した異端派グノーシス主義者のギヨーム・ポステルと接触した秀次は自身の正体を知ると、姉の茶々と共に秀吉への復讐を誓う。ポステルの狙いは姉弟を利用し、グノーシスの教義において神に最も近い両性具有の人間を、錬金術の秘儀によりホムンクルスとして創出することだった。夜な夜な京の町で子を攫い、聚楽第で養育しつつ秘儀の供物とする秀次。彼らの秘密を探り当てた秀吉が、ポステルを追う異端審問会会士と共に聚楽第の地下に作り上げられた巨大な錬金窟に足を踏み入れると、そこではまさに信長とお市の融合体が誕生しようとしていた……

 2002年新潮社刊。新潮文庫版は2005年刊行。
 『信長』刊行の際、宇月原は「亡き信長が残した燠火みたいなものに、人々がつき動かされていくところが書きたいですね。もちろん、単純な続編ではありませんが、やはり魅せられたる魂の話になると思います (※1)」と語っていた。その言葉通り、『聚楽』は信長の夢と美しさ、妖しさに焦がれた秀吉と家康、さらに次世代の秀次と茶々がその夢と各々のやり方で対峙する物語である。

 テーマだけではなく、前作で信長が備えていた両性具有性は今作ではお市との近親相姦的なペアという形で表象され、「ユダの福音書」的な光秀像として間接的な示唆にとどまったグノーシス主義、さらに錬金術などのモチーフも存分に花開いている。グノーシス主義は世界を創造した神を悪魔と見なし人間の叡智によって真の神への合一を目指す思想であり、キリスト教最大の異端派とされる一方、女性原理の強調など正統派キリスト教が疎外したマイノリティを積極的に肯定するといった要素もある。このグノーシス主義、そして錬金術を戦国日本にもたらす登場人物がフランスの人文主義者ギヨーム・ポステルだ。比較言語学者、東洋学者、女性原理を強調した異端思想の扇動者にして狂人といくつもの顔を持つポステルは中世から近代の過渡期である一六世紀ヨーロッパの知的混沌を体現する人物であり(※2) 、物語の狂言回しにふさわしい。

 主人公秀次もまた俗説にあるような単なる残虐で無能な為政者ではなく、書籍蒐集家としての顔や小林千草が指摘した「〝弱き者〟にそそぐ優しい眼(※3) 」を取り入れた多面的なキャラクターとして造形され、被差別階級であった河原者との交流も描かれる。不信と対立関係にあった印象の強い秀吉と家康も、かつて共に信長とお市に魅了された者同士として余人の立ち入ることを許さない信頼と絆で結ばれている。総じて、「関係の美」にこだわる宇月原の本領が如何なく発揮された長編である。


※1 「対談 和洋折衷のフルコース・ディナー」、一六頁。
※2 W.J.ブースマ『ギヨーム・ポステル―異貌のルネサンス人の生涯と思想』、長谷川光明訳、法政大学出版局、二〇一〇年(原著一九五七年)。
※3 小林千草『太閤秀吉と秀次謀叛』、ちくま学芸文庫、一九九六年、二二九頁。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?