【今朝の気づきと祖父の帝王学】もし帝王学のアホの定義が世の中の常識になったら、どんな世の中になるんだろう?

なぜ差別や戦争はなくならないのだろう?
世界平和を本気で考えているリーダーたちは、世間の人達が帝王学で生きていないと自覚しているのだろうか?
もし世界が帝王学の基礎的な考えが常識となれば、世界平和になるだろうなと。

そんなことを昨夜考えていて、今朝祖父のユーモアあふれた教えの素晴らしさに答えがあると気づいた。

祖父が小学生のわたしに何度も教育したことが、大人になってから帝王学だと知りました。
小学生の孫に教えるのですから、シンプルな言葉で覚えやすく、普段の使う言葉で教えてくれたのです。
祖父が教えてくれた帝王学が一般常識となれば、世界平和になるだろうと。なぜなら人間や物事の本質そのものを見抜かないといけませんし、何よりも「経済の問題、社会の問題、世界情勢で起きている問題」すべてが繋がっている。だって人間が作ったルールですし、問題が起きるときは、大体が人間の欲や恨みや悔しさという執着で、問題そのものを起こしているリーダーたちの思考が狭まり、執着に囚われていることにすら気づかない、いや気づかないふりをしている。だから人間そのものの定義や価値観、いわゆるパラダイムシフトがリーダーに起きて、何よりも帝王学の定義が常識となれば、問題は解決するのだろうと、今朝気づきました。
これ小学生の頃からずっと思っていたことで、大人ってなんで囚われてしまうのだろう??と思ってた。

囚われていることが、人間の価値観になり、それが世の中の定義として常識とさせていく。
価値観と定義の中で、思考をし会話をするから環境というものが出来上がる。

わたしがもっとも大切にしている祖父の教えがある。
【アホの人間の定義】である。
「学歴、経歴、肩書き、地位、年収、金、ステイタスが人間の価値だと信じている人間はアホ」

だから祖父はこう続けて言いました。
「アホと話すとアホがうつる。アホと話すな!」

そしてこれもたまに言われたこと。
「友達が少なくても気にするな。自分が何をしたいのかを大切に生きろ!」
これは人間がそもそも恐れる「孤独に支配されるな」ということである。

まず【アホの人間の定義】である「学歴、経歴、肩書き、地位、年収、金、ステイタスが人間の価値だと信じている人間はアホ」であるという常識が、今の時代は少しずつ浸透しているというか、そういう流れになっているのはたしかである。
だが悲しいことかかなり少数である。

アホの定義にハマって人間を決めてしまうのは、物事の考えを見抜かないようになっていく。
そういう人達といると、わたしは頭を混乱するし、わたしを枠にはめようとして苦しくなる。
なによりも昨日気づいた「総合的な美」というものがないという事実に気づいて愕然とした。
だけどその人達も頑張っているわけで、悪い人ではなく、わたしとは合わないということである。

このアホの定義にハマっている人達も少しずつ気づきはじめており「本当の自分に嘘をついていることに気づいた」と言う人達が多い。
ならば本当の自分で生きていけばいいだけのこと。
何を保証を求めているのか?と疑問に思うし、腹がくくれてないなら今の現状を作っているのは自分だと、その人が自分で気付くしかない。

アホの定義で生きている人達の考えが少しずつ崩壊しているのだが、人が決めた目に見える評価と基準でしか、物事を判断できなくなっている大人が多いこと。
答えをすぐに求めてしまい、自分の心の本音を現実で活かすために考える力がないために、レールに乗るしかない生き方に戻る。

セレブと呼ばれる人達は、自分の才能を活かして生きている人達のことである。
わたしはセレブの人達といると言葉が通じて楽しい。
なぜなら社会の問題、経済の問題、世界情勢で起きている問題を自分のことにとらえているので、いまの自分から出来ることをやっている。
自分ごとと捉えているから、常に進化成長している。
だってさぁー問題も進化成長するわけよ。
原始人は飢えないことに必死だったけど、今はそうではない。もちろん飢餓で苦しむ国もあるけど、原始人の飢えとはまた違う。

そう考えると。
昨日の気づきと同じだね。

祖父が教えてくれた教育の中に
「仕事は大人の遊び道具」だから「経済は個人の喜びを実現し、それを他の人達にも喜んでもらえる循環を作ること。これが経済や!」ということを何度も何度も教わった。
仕組みを作るリーダーたちは、この考えが基本としてあるだろう。あとアホの定義も同じようにあるだろう。だが今多くの常識である「学歴、経歴、肩書き、地位、年収、金、ステイタスが人間の価値」という常識は、人間の考える力と才能そのものを奪い取る【洗脳】という。優れたリーダーたちは、それを知っているから、若者たちに「洗脳されるな!自分の力を存分に発揮しろ!」と言っている。

祖父の考えである、【仕事は大人の遊び道具】が常識になれば良いよね。
自分の好きなことに磨きをかけることは当たり前のこと。
ここでも祖父からの教えで「教わる先生は一流の人にしなさい。人生の投資や!」と言っていた。
だから好きなことで世の中の役に立つことが前提で考えると、学校選びは、どんな先生がいて、どんなことを教えてくれていて、学校そのものの理念は何を持っているのかしら?となり、それで学校を皆選べるようになる。
こういう選び方をしてないというのは、昨年知った。

やはり人は選ばないといけない。
すでに祖父が教えてくれた教えがある人と共に、世の中の常識を変えていかないと、本当に大変なことになるね。
だって本質を見抜けないから、未来が見えないために感情的になってしまう。社会問題、経済問題は政治家がやったことで文句ばかり言う。文句言うことが慣れてしまって可能性を見いだせない会話になる。政治家などに文句を言っている自分が偉いと勘違いしているのに、そんなことにも気づかない。
ネットというものができたから、より一層、祖父の教えが常識になったらいいのにと思った。

祖父の教えには、答えがない。
自分の中にある答えに責任をもつことであり、一歩もしくは半歩先の未来に自分の好きなことを盛り込むこと。未来は変わる。だから私達人間も柔軟でないといけない。

ネットとテクノロジーは便利である。
その便利だからこそ、世界平和に応用していかないとね。
そのために常に自分が何に囚われているのかを気づくことで、思考、言葉、行動を変えていく意識をもたないと。ネットとテクノロジーとのつきあい方がそれで変わるしね。

環境が人生を作り上げていく。
それは普段の会話から。
人がどんな定義をもっているのかは重要である。
レールに乗った人達は、人の言葉を借りて話す癖があるので、大きな流れになればそっちに流されて生きていくから、自分で好きに生きているのだ。
ちゃんと社会問題、経済問題、世界情勢が自分ごとで考えられ、最低限祖父が教えてくれた帝王学が常識とした定義がある人達と一緒にいたい。
わたしの喜びであるから。
だからこそ、帝王学のアホの定義にハマっているでぇーーと自分自身に言うし、お客さんにも言う。
いまのわたしはコンサルティングを通して、自分の喜びを広めていこう。
そして暮らしと夫とガーデニングと日本伝統を存分に楽しもう。
だって自分自身が循環しないとね。
アホの定義にハマると循環しないからね。わたしもついつい循環をやめてしまう。目先に囚われるって怖いね。
気づけて良かった良かったと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?