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【シャンバラの仕組みと自分の連動性】デザイン思考を養い、自分自身の弱さの克服になっていく

大人が本質で生きていけたら、子供にそのような教育をしていき、仕事や地域でも仕組みを作りはじめ、家庭から喜びと愛で美をクリエイションすることが当たり前になったら、格差はなくなっていくのだろう。


【朝の気づき】

すでにあるものに自分自身に与える喜びと美しさに気づいてるのに、それを流してしまってるやーーんって、気づくことは大切で、そこから取り組み方も変わるし、よしゃー楽しむでぇーーとなる。

これって、すでにある地域や国にある伝統や文化や民芸品などの美しさに気づかされるわけで。グローバリゼーションだからこそ、そこに気づくことが大切で、そこから復元性の知恵がみにつくから、強さというものがわかるようになるよね。

あと自分自身の中に身近なことに、自分自身が感じた喜びと美しさをちゃんと感じ体験すると、自分で自分の自尊心を養うから、そこにある知を知ろうとする喜びに浸ることができる。すると人と比べたり承認欲求という自分自身をダメにする思考がマジでくだらないものへとなっていくね。
これが本質を知ることになるし、自分自身の喜びは本来の自分自身になるから優雅で無邪気な自分自身になっていくからこそ、知性が深く身に付いて叡知にふれることができるのだろう。

なんで身近なものがくだらないと雑に扱うのか?人と比べたり承認欲求になるのか?
環境の中にある情報と教育があり、それで人間の価値観をつくりあげてるわけだけど。テレビやネット、学校、職場、そして親や家族などの価値観がくるわけで、すでにあるものを大切にできないのだろうか?
ビジネスでも子供の教育でも、世間ではデザイン思考などの感性を養うことが大切だといわれているが、わたしたち大人がそうでないことが多いから、職場でズレた教育やリーダーシップをやっちゃって、それが子供への身近な教育としてなってるという負の連鎖を生み出してるのは、多少たりともある。だけど子供の無邪気な感性から刺激を受けた大人がハッとさせられることもあるのだろうね。

昨日、品がなくて気持ち悪いと感じた人達の言葉と思考に対して、承認欲求があり、自分とあなたは違うという考え方が根底にあるのだろうと今朝気づいた。気持ち悪いと思ってしまうのは、なぜか?と考えたら。


根本的な事を見てないのが、気持ち悪い。


ただそれだけである。
そこには、わたしの弱さと同じ「寂しさ」からくる承認欲求があるのだろう。マジで気を付けよう。
レールに乗ることが得意な人達の言葉が嫌いなんだなぁーと、つくづく思ったが、そういう人達にコントロールされてしまっている自分自身がいて潰さそうになった過去も思い出した。

すでに手元にある美に気づくこと。
それを昇華させる力が人間にあり、それは風土の恵みと人間の感性のコラボである。
今日はそれをいつもよりも意識して過ごしてみよう。根本的なことは、すでに身近にあり、足元にあるという在り方をマスターしていく。これがグローバリゼーションで強さになり、テクノロジーが人間や自然をより繁栄させていく使い方の気づきと発展へとなっていく。善のテクノロジーが善の収益へとなり、真のグローバリゼーションとなり強さへとなるから優しい仕組みが作れる。すると格差がなくなる仕組みが見えてくるんだろうな。

【夕方の気づき】

人間をモノのように扱うことは、目先しか見ない人間がすることであり、その人そのものの才能すら見抜けないから、物事の本質も見抜けない。だからコントロールする。だから階級というものがつくられ、地位にしがみつく。
ダサい人間がすることだ。

植物をみていると、太陽の光、空気、水、土の栄養があればすくすくと育つ。土の栄養は枯れ葉や虫の糞や死骸などで循環しまくって出来ている。
神がわたしたち人間に求めることも、植物と同じぐらいシンプルなことだと知ったときは驚愕した!
これはアデプトを受けるといい。アデプトで4needを教えてくれるのだが、それを神が人間に求めていることだと。そこがわかれば、自分自身がダサい執着がわかる。

わたしは仕事をしている自分自身じゃないといけないとなっていた。いつからだろう??
昔は仕事は趣味を極めたものであり、それが生活のためになったら衰退するだけであるとわかっていた。もちろん、離婚したばかりの頃に元夫にほとんどのお金を盗まれてしまっていたことに気づいたたきに、金への執着が生まれたが、後に消えた。そしたら仕事は自然と上手くいった。仕事とはそんなもん。自分自身の喜びの追求していく無心な好奇心があるから、仕事は結果が出るもの。
それがわかっていたのに、結果に執着しはじめていた自分自身がふとでてきた。愚かだわぁーー。
まぁ、人間だもの、相田みつを精神で乗り切ろう!気づけたから、わたしはわたしの喜びど真ん中で生きていく。

美貌が人間の価値を決めると、思い込んでしまった時期があり、これも離婚した元夫から「ブス」と言われて傷つき執着したが、それが自分自身を不幸にしているとわかって、アホな人ほど人間の外見にこだわるのだとわかり、自分自身の幸せに妥協しないアホを相手にしないと決めたら、理想100%の夫と再婚できた。年齢を重ねると美貌は、その人の在り方に如実にでてしまい、思考と話し方がシワとめつきや姿勢などの印象になるり、醜くなることを知った。ずっと美しさを保つのは、その人が常に自分自身の喜びに愚直に生きていることもわかった。

これからの執着は、自分自身もモノのように扱い、何よりも体の声、心の声よりも、恐れを見ないことに執着しはじめる。これがダサい人間へとなり醜くなるんやなぁーって。
自分自身をもっと大切にして味方にしていくと、神が求める人間のものすごい能力を発揮しちゃう。
だけど神が人間に求めていることは、かなりシンプル。だからそれが出来ていることに感謝し、オッケーって思えるといい。それはアデプトで受けてね。

八王子の田中夫妻からアデプトを受けられます。田中夫妻は、本質をわかっていて、本質で生きているご夫婦なのでオススメです。
https://veilsalon.com/adept/



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