屁ッセイタイトル2のコピー__42_

「好き」こそ人の「センス」なれ。

ちょっと前職の話をさせてください。

前職はソシャゲを作る会社にいたのですが、そこで最初に任された仕事は「楽曲をいい感じのところで切ってジングルにする」という作業でした。

そもそもゲームをほとんどしない自分が、ゲームの楽曲を「いい感じ」にカットするだなんて無謀です。「いい感じ」って何やねん。

そこで左脳が右のこめかみまで侵食しているロジカル人間なシャニカマは、スプレッドシートに各競合タイトルのジングルが何秒だったかを記録し、平均値や傾向を調べました。

そして当時のディレクターだった上司の方に「このような傾向があり、これぐらいの秒数だったので、こうやってジングルを作成しようと思いますがいかがでしょうか?」と提案しました。優秀な新卒だと思われたくて。

すると上司からこんな一言が。

「まあ、センスの問題やからなあ」

あんちゃん、それを言っちゃあおしまいよ。
葛飾生まれでなくてもそう言ってしまいそうな、身も蓋もない一言。

でも、確かにそうなんです。
何でもかんでも画一的なルールに落とし込んだって、うまくいきません。

そこには言語化されていない暗黙知や、それこそ「センス」と呼ばれる感性に基づいた能力があるはずです。

センスは確実に存在する。
センスしかなし得ないことも存在する。
これは目を背けてはいけない、れっきとした事実です。

今日はそんなことを、ふと思い出しました。

いま、とある案件で女性向けのイベントブースを一部企画しているのですが、それが遅々として進みません。大抵の仕事ならテキパキとこなすし、アイデアを出せと言われればすぐに企画して資料にする男です。

でも、その仕事だけ一向に進まない。

私はそもそも本屋か喫茶店しか行かない人間です。
イベントごとに参加するとしても、好きな作家のトークショーぐらい。(こんど又吉先生のイベント参加するんです、いいでしょ)

そんな人間がブースの、しかも女性向けの企画なんてまるで出来ません。
Googleで検索しようとしても、何となくあるイメージを何と言う単語で検索すればいいのやらサッパリわからない。

そこで、サンリオが大好きで心にギャルを飼っていると評判の佐々木さんに色々と相談すると、出るわ出るわアイデアの数々。
「これなんかいいんじゃない?」と検索窓にまるで聞いた事のないワードを打ち込むと「そうそうこれこれ!」という画像が無数に出てくるではありませんか。

これは何の差でしょうか?
いわゆる「センス」というものでしょう。

「いやいや、センスも知識からだよ」
と、どこかの本で読んだだけの知識を言う人には 脳天にタピオカストロー突き刺してチューチュー吸ってやりますよ。これが本当の「天チュー」です。

いいですか、勉強しようと思って覚えた事なんてすぐ忘れるんです。
好きこそものの上手なれ。好きじゃないと記憶には残りません。

つまり「好きになれる」ことがもうセンスなのです。

もし私が活字を読むセンスがなかったなら、本のことを好きになることもなく、西加奈子に会いに行くことも、村田沙耶香に会いに行くことも、又吉直樹に会いに行くこともしなかったでしょう。

「好き」はアドバンテージです。
「好き」がセンスの正体です。

「好き」じゃない = 「センス」がない

身も蓋もないと思いますか?
でも、この地球は身も蓋もないじゃないですか。
あるのは土と空気と水だけです。身も蓋もないんです。

私の心のギャルは生えてきません。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。