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月見小夜子を殺したすべての人へ



わたしは数ヶ月前、月見小夜子を殺しました。


月見は高校2年生の美術部に所属するごく一般的な女子生徒です。スカート丈をいじらず、指定のソックスを履き、リボンを選択したブルーのタイはきっちりと彼女の首を守ります。校則通りにすべてを着こなし、暑い日には胸まで伸びた毛の細い髪を耳の辺で一つ結びにします。この学校の制服は、スラリと伸びた背丈に白く透き通った肌をもつ彼女の為に作られたのかと思うほどぴったりと似合っていました。
しかし、清楚とも地味ともとれる月見は教室でも美術室でも浮いた存在でした。

そんな月見にも居場所はありました。19時から始まる芸術の予備校です。同世代で美大志望の他校の学生、寧々と凛太朗。未だに歳のわからない、パーマか癖毛かもわからない、飄々とした車持ちの浪人生のカスさんこと加須屋さん。受験に合格して予備校を卒業し今は有名な美術大学に通うOBの鈴谷さん。この4人は月見にとって貴重な気の置けない友人であり居場所でした。
日付を跨いでカスさんの車で向かう山道やその途中から見える夜景、星空。数駅となりの街にある、芸術を語らう人々の集う薄暗いバー。ツタの伸びた雑居ビル、冬の湾岸、夜の公園。そのすべてが、月見自身が無意識に考え敷いたレールを大きくはみ出した様な気がして興奮していました。高校にいるつまらない連中と自分は違う、と優越感に浸っていたようでした。

わたしは、月見小夜子のことをそれくらいしか知りません。「そこそこ知ってるじゃないか」と思われるかもしれませんが、本当にそれしか知りません。付け足すならばクリームソーダとスニッカーズが好きで、有線のイヤホンからよく流れているのはきのこ帝国。これくらいです。
正直にいえば月見の顔すらもよく分かりません。声も、瞳の色も、眉毛の太さや顔にあるほくろの数まで、思い出せないのではなく分からないんです。なぜ学校に居場所がなかったのか、寧々ちゃんや凛太朗、カスさんや鈴谷さんなんて名前しか知りません。知る必要がなかったからです。

では肝心の「どうやって殺したのか」
これについて話すのはすごく勇気のいることです。でも、聴くあなたも同じくらい勇気がいるはずですから、ここまで聴いてくださったならガッカリさせるとしても話す以外の選択肢はありません。
とっても簡単でした。



アプリを開き、画面をタップして、パスワードを打ち込み、確定ボタンを押す。これだけです。

ここから月見が失くなるまで、1ヶ月の猶予がありました。わたしは今日に至るまで月見小夜子を見ていません。彼女も、彼女を形成していた人も街もすべてはもう存在しません。数人いた画面越しの友人たちの記憶から消えていくのも時間の問題で、数ヶ月前の話なのでもうわたし以外に覚えてる人はいないのかもしれません。

わたしの学生時代、理想、挫折。承認欲求を少々。そんなものをボウルでかき混ぜて、気づいたら完成していた小夜子には素敵な名前をプレゼントしてあげようと思いました。薄い月が淡く光る夜に、セレナーデを一から了まで、奏でてくれる人があなたに現れますように。ちょっとだけ、月見バーガーも頭を過りましたが、センチメンタルがあの紙袋の匂いでかき消される前にやめましょう。
生み出してから2年くらい経った時、もうわたしには月見小夜子は要らなくなっていました。彼女が居なくても、月見小夜子というアカウントがなくても生きていける。むしろ彼女の存在は次第に枷のように、重荷のようにマイナスなものへと変わっていってしまいました。日々増える通知、許可を得て使用したイラストのアイコン、すべてが目に入るだけで生クリームを1リットルを食べたような気持ち悪さを覚えました。

彼女を消さずに殺したのはわたしなりの償いです。
最初から分かっていたのに、名前通りの人生を歩ませてあげられなかったこと。17歳の籠から出してあげなかったこと。他にも謝罪しなければいけないことは山ほどあります、きっとわたしが覚えていないだけで。
インターネットはよく海に例えられますが、その海には何千、何万、下手したらそれ以上の死体が深層に沈み、水面を揺蕩っています。捕食者は滅多に現れませんので還ることすら叶いません。そんな場所に送るのはかわいそうなので、さよならすることに決めました。

さて、世の中には様々な「創作」があります。なりきりアカウント、イラスト、チャット、小説…。これを黒歴史と呼ぶ人もたくさん居ます。わたしも正直そう思っていました。今でも声を大にして他人には言えません。それでも、自分の多面性を受け入れて欲しくて、あるいは別の誰かになりたくて、いつの日か生み出したモラトリアムの産物は、今のわたしを、あなたを作った大切な存在です。あの時のどどめ色をした複雑で繊細な感情のひとつひとつが時間とともに収束し、今のあなたが形作られていることを忘れたいあなたのためにわたしが覚えておきます。なのでわたしは今ここに自分のしたことを書いておきます。



さよならさんかくまたきてしかく


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