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集中と分散。

明治時代から日本国という一つの国の意識が確立して、藩ごとの意識から、日本国という新しい意識が生まれた。

地域ごとの情報から大衆向けの情報へ

日本での日刊新聞は幕末から。明治時代に確立。
同じく明治時代に、速報性の高い日刊ではなく、専門性に特化した雑誌が登場。宗教・医学・教育・文学・芸術など大正時代にかけて注目されて行く。

次いで誕生したのが、映画。エジソンが発明した3年後には明治期に日本に伝わっている。それまでは劇場の舞台が主流だった娯楽に、新しい流れが生まれる。

ラジオの登場は大正時代。政府は国家思想の啓蒙活動に使えると判断。国主導で放送局を調整する。

テレビは戦後に普及。日本の経済成長、交通整備(流通の発達)とともに、当時マスメディアとして確立されていた 新聞・ラジオ・雑誌・テレビ・公共広告も影響力を持つようになる。

《ここに出していれば、人々が集中しているから影響力がある》

という考え。
インターネット、スマートフォンが普及し、個人が発信できるようになっている現代、情報との付き合い方はブラッシュアップが必要になっている。

街のあり方はどうか。

地域ごとの違いよりも、成功例のコピーが増えた街

昔は、地域ごと、街ごとの商店で暮らしに必要なものが完結していた流通形態で、地域に密着した個性が、それぞれのエリアでありました。
そして、流通環境が特に整備されている都市部には、普段買えない”新しいもの””珍しいもの”があり、わざわざ行く価値があった。

戦後、車社会が普及し、大型駐車場を有した大型商業施設が1990年代にかけて多数出現。”新しい””珍しい”が集客のポイントに。
その後も、集客成功体験をもとに、大型商業施設を街の活性化の為に、全国で大量建設して行く。一定水準のハコを大量に作ることで、コストを抑え効率良く発展。そのことで、同じ形態が全国で急増。

”珍しい”が”珍しくなくなる”

戦後からの人々の消費欲求は”新しいもの””珍しいもの”にあって、日常に変化や刺激、満足をもたらすものだった。

街ごとの特徴があるからこそ、”新しいもの””珍しいもの”を求めるために、人々の移動が起こり、消費が発生し、”違い”が価値を生んでいた。

そこから、過去の成功例や、流行っているという理由で、この20年。街は成功例のコピーだらけになっている。

人の脳の本質の中に
●報酬の欲求(反応を求める)
●情報の欲求(新しいものを求める)
という欲求があるのであれば、《他と同じ》《どこも同じ》は、欲求を満たす場所ではなくなる。大きな商売であればあるほど、効率的、標準的(リスク回避)になるため、欲求を惹きつける力が薄くなる。


集中の時代が衰退し、次は分散の時代。

規模が大きくなればなるほど、その恩恵は大きい代わりに、リスクも大きい。だからこそ、大きくなればなるほど、それを守るために、標準的な枠を超える事ができなくなる。

そんな中でも、人が求めているのは”新しいもの””珍しいもの””標準的ではないもの”。

メディアも、サービスも、商品も、標準的な大衆向けではなく、他でと同じではない、個性や、社会的意義や、ストーリーに焦点が行くようになっている。

これからは、他と同じものではなく、個性を、社会的意義を、ストーリーを打ち出すものが求められて行く。

今までのように、ここに出していれば影響力がある。
こういう商品であれば、買われる。ヒットする。
手段、方法に乗せて、大きな影響力を期待する時代ではなくなっている。

大衆感ではなく、一つ一つ種をまいて、育てる丁寧さ。
まずは自分自身から丁寧に育てて、分散の時代に自分の個性を光らせてみよう。


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