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パリ五輪開会式はなぜ物議を醸したのか

みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。コロナで1年延期となり、無観客開催の東京五輪から3年が経ち、パリ五輪が開幕しました。久しぶりの有観客のオリンピック、連日各競技で熱戦が繰り広げられています。

そんな中、開会式が通常のメイン会場ではなく、セーヌ川で行われ、選手は行進を歩かずに、船上で登場するというユニークな形で行われましたが、その中のショーの一部の表現に問題があると物議が醸され、遂にはアメリカのスポンサー会社が撤退するという事態に発展しました。

問題のシーンはマリーアントワネットが革命で斬首された歴史を再現するかのような首だけ女性がでてきて、人気ヘビメタルバンドの演奏が始まると、建物の外で赤色の水が噴き出るというところと、有名な絵画、最後の晩餐と同じ構図で、女装した男たちが歌ったり、踊ったりするシーン。

さらし首は映画やドラマなら18禁のような扱いになるでしょうし、最後の晩餐をパロディでLGBTの表現は、キリスト教の冒涜と憤慨した人たちもいたようです。

まずオリンピックは平和の祭典であり、スポーツの祭典なので、18禁ではなく、子どもも観るし、200の国と地域から参加することから、あまりメッセージ性の強い表現は、強烈な反発を招きます。文学やアートとは少し違うのです。
覚悟を決めて、観たい人だけ見ればいい、というのは美術館や映画館に行く人はできても、オリンピック開会式をテレビで観るにはできないわけです。
アートと言ってポルノを出して良いのか?ダメですよね、開会式には。それと同じ。

じゃあフランスはどうするべきだったのでしょうか?

サン=テグジュペリの作品「星の王子さま」は世界中に翻訳され、長く愛されています。
ストーリーは飛行機に乗った操縦士がサハラ砂漠に不時着し、そこで出会った小さな王子さまと様々なやりとりをするファンタジーです。

架空の世界で、星の話しがあり、過激なシーンもなく、子どももある宗教や民族も傷つけない話しで世界で愛されている。こちらをチョイスするべきでした。

ただ、王子さまはフランス人の内面ではありません。サン=テグジュペリは没落貴族に生まれ、パリとは縁がほとんどない田舎者であり、飛行機好きなパイロットの変わり者が、世界的ベストセラーを描いたわけで、議論好きのフランス人とはちょっと違う。
しかしこちらのほうが確実に世界の人たちは満足し、フランスを尊敬したでしょう。

自分たちの内面を表現することが必ずしも良いとは限らないのです。

少し話しはそれますが、過去ノーベル文学賞受賞者数を国別とすると、

アメリカ12人
フランス12人(亡命者等含む)

と、英語に比べて翻訳書籍数が圧倒的に少ないフランス語作家がこれだけ受賞したのは文学大国と言えるでしょう。
公園で古本市がいまだに開催されたり、web小説を紙のぬくもりが好きだからと駆逐してしまうのもフランス。

日本人で最後にノーベル文学賞を受賞したのは大江健三郎さんで、フランス文学を研究していた方です。日本人で彼のファンは意外とかなり少ないですね。読み切るのも大変と言われたりもします。

その一方でアメリカ文学作品を翻訳もし、アメリカでも活動していた国内外で超人気作家の村上春樹さんは毎年のようにノーベル賞候補と言われるも、受賞できないのは、なぜなのか。皮肉というか。

今回、もちろんセリーヌディオンの歌など素晴らしいシーンもありましたが、世界の注目を受けて、一部の人たちを怒らせ、傷つけてしまったという意味では残念な結果でした。

それではまた。

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