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読書感想文 #25 『伊藤博文 近代日本を創った男』

みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

最近はぜんそくで体調が悪く、今日も朝からしんどかったのですが、夕方からいくらか回復しました。


今日は下記を読んだ感想です。

伊藤博文 近代日本を創った男

伊藤之雄著

目次

第一部 青春編

1木戸孝允に見出される  2 「外交」交渉での活躍  3倒幕への戦い 

第二部 飛翔編

4 列強との交渉と知的飛躍 5岩倉使節団の特命全権副使 6伊藤参議工部卿の実力

第三部 熱闘編

 7伊藤体制を作り始める 8大隈重信への怒り 9憲法調査にかける伊藤の意気込み 10内治優先と日清強調 11日本のかたちを創る

第四部 円熟編

12見込み違い 13 第一議会のとまどい 14明治憲法を守る 15民党との連携と条約訂正 16伊藤体制の満開

第5部 斜陽編

17元老としての強い自負心 18休養と充電 19肉体の衰えと「憲法」政治への理想 20国際協調と行政と議会の調和 21陛下とのことは他人との容三喙を許さず

第6部 老境編

22韓国統治への抱負 23「滄浪閣」の夢 24暗殺


解説・感想

目次を入力するだけでもくたびれるほどのボリュームで、これほど日本の歴史に関与した人は他にいないでしょう。


それでいながら、歴史上の偉人の一人である伊藤博文のファンですという人はあまりおらず、伝記もあまりないというのは、下記のような事情があります。

・幕末の主役は坂本龍馬や高杉晋作、西郷隆盛らであり、若い脇役に過ぎなかった。

・同様に明治の初期は大久保利通、岩倉具視、木戸孝允らで、伊藤は活躍していたが先頭ではなかった。

・大日本帝国憲法を作った中心人物だが、後に陸軍の悪用により太平洋戦争に突入し、日本が壊滅した為、元凶のような印象がある。

・最後に韓国の安重根に暗殺され、これがきっかけで韓国併合が高まった。

伊藤は長州藩の農家に生まれており志士ではないが、人から好かれる性格もあって、吉田松陰の松下村塾に入門し、その後頭角を現し、早い段階で長州藩から密航の形で英国に渡り、列強の欧州の様子を知ります。

さらに当時の政府のトップのオールスター岩倉視察団の一員としても欧州視察をし、岩倉、大久保、木戸らと交流をします。

大久保の暗殺後、政府のトップとなり憲法の製作にとりかかりますが、およそ10年かけており、首相でありながら1年半もドイツに留学して学び、間接的ながらも明治天皇に君主について教授します。

その後も政府の中心人物として、日清戦争や日露戦争なども起こり、韓国の統治について国会でも揉め、ロシアとも協調し、韓国にも日本が手伝う形での独立を願っていたものの、併合の方向となり、恨みを買って市民にハルビンで暗殺されるのです。

後半は国会でもかなり揉め、辞任をしようとするも、明治天皇になだめられて、続けるという、今では考えられないような状況だったようです。

伊藤は、昔1000円札になっていましたが、ボクは最近まで「幕末の倒幕のヒーローたちがお札にならず、伊藤がなっているのはどうなんだろう」と思っていましたが、これだけの貢献度からしたら、お札になっていたのは納得がいきます。

韓国は清国の属国だったのが列強がアジアに進出し、ロシアもくるとなり、日本がロシアを撃退し、韓国をどのように扱うかという葛藤があり、そのような歴史の苦労を知らず、併合や韓国がしきりに強調する慰安婦問題等ばかりが印象に残っていますが、日露戦争以降~太平洋戦争までの歴史をきちんと検証し、学校での教育をしないといけないのではないかと思います。

憲法を10年かけて作ったなんて、他の国でもないですし、英国の民主主義の憲法は当時の日本人に、釣り合わないことから、ドイツ流を日本人向けにアレンジして、歴史上初の憲法ができたのです。

一方で日本国憲法は、敗戦国の日本に対してGHQが出してきた案を短期間(10日という人もいるが、それは大げさでは?)で作成したものであり、戦争放棄を明記する素晴らしいものとして、広く知れ渡っていますが、比較される大日本憲法が本当に悪質だったのか、歴史の背景も踏まえて、学ぶほうが良いと思います。

大人気である司馬遼太郎さんの歴史小説は、日露戦争を描いた「坂の上の雲」までであって、日比谷焼き討ち事件以降、日本がおかしくなったということですが、戦争を避け、平和に他国と協調しようとしていた伊藤の姿も書いてくれていれば、日本人が20世紀初頭の日本の歴史に対する認識もより深まっていたのかもしれません。


それではまた。



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