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なぜ日航機墜落の撃墜説は消えないのか

みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

関東地方はなかなか梅雨入りせず、モヤモヤした日が続きますね。

今日は1985年8月12日に東京発大阪行き日航機123便が群馬県の御巣鷹山尾根に墜落し、乗客乗員520名が亡くなるという未曾有の事故があり、連日テレビや新聞ではトップニュースになっていました。今では見かけなくなったジャンボジェット機の墜落は衝撃的でした。

事故の原因は、飛行中に機体後方の圧力隔壁が客室の気圧に耐えきれず、吹き飛んで、圧力が上がり垂直尾翼も崩れ落ち、油圧が全てダメになって、操縦不能に陥り、30分迷走後に墜落したそうです。

この飛行機は1978年に大阪空港で着陸の際にパイロットのミスでしりもち事故を起こしてしまい、修理にあたったボーイング社が破損した圧力隔壁を半分を新しくし、残り半分を修理することにし、繋ぎ板を中に入れるように指示書があったのが、修理工は寸法が合わず、板を2枚に切ってしまい、それらを入れたため、周りを覆ってしまうため、誰もその事実を知らず、点検時も中までみないので、そのままスルーされたのだという。
計算すると一万回程度のフライトで、圧力隔壁が耐えきれなくなり、吹き飛ぶことがわかり、事実約1万2千回フライトしたのがこの事故だったというのです。

真相は上記ですが、陰謀説などでています。

スクランブル発進した百里基地の自衛隊機2機が後をつけていたという長野県レタス農家や小学生たちの目撃証言。
沖縄から横田基地へ向かっていた米軍機が墜落現場を最初に見つけたにも関わらず、命令により救助活動を行わなかった。
日航機が垂直尾翼を失った相模湾に偶然自衛艦のまつゆきがいた為、誤射した。
墜落から発見まで一晩もかかり、焼け方が異常で、飛行機の燃料にはない、火炎放射器を使ったような跡が見受けられた。

まず、ミサイルなどが飛行機に当たった場合、激しく揺れたり、爆発する場合もありますが、相模湾で圧力隔壁や垂直尾翼が吹き飛んだ際に、それを示す異常がなかったそうです。

もし、仮に自衛隊が撃ち落としたなら、ボーイング社やアメリカ政府は黙っていないし、リークもあるでしょう。逆の米軍機が撃ち落としたら、日本は黙っていないはずです。

また当時はGPSがなく、場所の特定に誤差はかなりあったそうです。

さらに相模湾に沈んだ垂直尾翼を事故調査委員会は高額な費用を理由に徹底調査せず、いまだに一部は海底に沈んだままだそうです。日航が費用払えばいいとまで言う始末。

また群馬県警はボーイングの修理チームを略式起訴しようとしていたようです。

技術的に原因は解明されたものの、全てを回収しなかった、特に海に落ちた尾翼の一部。これが、陰謀説を作りたがる人が出てくる理由なのです。

日本人はいつまでも原因探しばかりで、こういう状況になったら、どのように回避するかという議論をしないという短所があるようです。

大惨事を繰り返さないように備えて、次に繋げることが、気の毒にも亡くなった人たちへの報いになるでしょう。

時はだいぶ経ち、だんだん関係者もこの世を去っていく中で、いつまでもこだわるのはどうなのか、そういう本が売れるのも、ちょっと残念な気がします。

それではまた。

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