見出し画像

属性を失ってしまうことへの怯え



もうすぐ学生という身分が終わる。


長くて短くて長かった学生時代は、私にとってぬるま湯だった。熱いときも冷たいときもあったけど、総じていえばぬるかったと思う。ずっと浸かっていたいくらいの温度で、程よく適当に私の血を巡らせてくれていた。

たまに、向こうの熱いお湯やサウナで顔を真っ赤にしてるひとが羨ましくなったりする。けれど自分はどうせすぐ疲れちゃうから、と結局はその中に入らず横目で見て終わる。そんな感じの学生生活だった。


他の人から見たら自分は、何だかんだこのぬるい温泉をそれなりに楽しんだひとに見えるのだろう。そりゃそうだ、だって文句こそ言いつつも出ようとはしてないんだから。分かりやすくいじめられたこともなければ、死ぬほど成績が悪かったわけでもない。ある程度の青春は謳歌してるな、と当時の写真を見返すと思えるくらいの思い出もある。


でも私がここから出たくないのは、単に心地いいからっていうだけじゃない。どちらかというと、この枠から出るのが怖いからだ。止めどなく流れてきてくれる適温のお湯と、誰かがそこそこ清潔にしてくれているこの空間から。



何者でもなくなってしまう自分が怖い。



別に元々大層な何者かであったとかそういう意味じゃない。なになに学校、何年何組何番、何年生、ナントカ学生。そういった括りで称することができていた自分の存在が、もう言い表せなくなることが怖い。


私はそうやって何らかの組織に属することで安心感を得ていたはずなのに、何故そうしないことになってしまっているのだろう。
まあ、できなかったからなんだけど。


ナントカ学生だった時は、それこそ大成したい!!的な意味での【何者か】にずっとずっとなりたくて藻掻いていたけれど、それよりもっと大きな高波がすぐそこに見えていて恐ろしい。高台に逃げてしまいたくなるけど、私はここから動けない。

何々さん家のナニナニさん、何とか部の人、あのオタクの子、ナントカ委員の人、みたいにカテゴライズされるのが嫌だった時もあったんだけど、今となっては無所属になることの方が嫌だった。とにかく何か自分が納得できる呼称が欲しいのだ。


それはきっと、これまでの学生生活で無所属であることの寂しさと不利益を被ってきたせいも大いにあると思う。
小中高と部活は基本的に強制入部で、帰宅部はレアだった。クラスに同じ部活の人がいないと人間関係の構築が大変だった。いつも所属してるグループの子が誰もいないと昼食の時間は路頭に迷う。どこのサークルにも入ってないと上下関係が築けないから、有益な情報を得ることができない。そういうことの繰り返しだった。


とはいえ一人は楽だし好き。敢えてそっちを選択することもあった。だけどそれだけでは上手くいかない。こと学校生活においては特にそうだった。どこかの何かに属することは、学校という枠組みの中で上手く生きていくために必要だった。苦しみを伴うことだってあったけれど、孤独よりかは得られる益が多かったように感じられた。支えて支えられてたまに潰されて、そうすることで自分の立ち位置と存在を確認してきたんだ、と今初めて気づく。


【学生の私】は、もうすぐ死ぬ。
でもどうやらその後も人生は続くらしい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?