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私の芝生は何色ですか

わりと幸せで、なんとかなっていて、いわゆる普通の人っぽいかんじの生活を何日か送っていると、自分が不安定な地盤の元で細い命綱を継ぎ足し、それを握りしめながら何とかぎりぎり生きてられているような人間なのだ、ということをついつい忘れる。

継ぎ足さなかった途端あっという間に唯一の支えから一転して、これでもかというほど命を脅かすそれから、いつの日か手を離して生活できるようにならなきゃいけない。
と、考えただけでぞっとする。ただでさえ真っ白な自分の未来が、ホワイトアウトして何もかも消え去ってしまいそうだ。

普通ができないから普通に憧れるけど、そもそも普通って何なのか分からない。
でも自分が普通じゃないって思ってるってことは、それが例えネガティブ方向だったとしても自分を特別視していることと同等だよね?もしかして自分だけがトクベツだと思ってる?全然違いますよ。


あの子みたいになりたいって、いつも誰かに思ってる。


かわいい子。かっこいい子。運動ができる子。愛されキャラの子。やりたいことがある子。行動力がある子。フッ軽な子。いいな、と思ってた人と付き合ってた子。努力できる子。代表とかに選ばれがちな子。いつもみんなから離れて1人の世界を生きてる子。なんにも考えてなさそうな子。ちゃっかり将来決まってる子。自分より辛くて苦しい状況にいる子。人間として駄目な部分は多いけど仕事だけは認められている子。怒られても気にしてない子。普通に生きてる子。みんなみんなみーーーーんな、羨ましい。


いつだって自分じゃない誰かになりたくて、
けどそうなるにはあまりに自分に愛着が湧いてしまっているから、
フェンスの向こう側で寝っ転がり布団にくるまってみんなの庭を眺めながら、いいな~羨ましいな~ってだらだら言ってるだけ。隣の芝生は青いを通り越して真っ青に見える。緑が鮮やかという意味である“青”の最上級としての真っ青という表現が正解では無いことは確かだけど、語呂がいいからこのままで。


自分は自分以外の何者にもなれやしないのだ、という事実は、私の庭にこれでもかというほど残酷に力強く根を生やしている。
だから自分を磨くしかないんだよという綺麗事を素直に受け入れられるスペースは今ご用意されていないので、一旦隅っこに埋めておく。


自分以外みんなすごくてえらくて羨ましい。けれど、こうやって自分と自分以外で世界を分けてしまっている以上は、きっと何も変われやしないのだろう。俺か、俺以外か。なんて強い台詞様も、この文脈で言ったら何もカッコよくなんてなくなるね。



さて、ここまで書いたけどオチどうしよう。

なんて考えつつぼーっと夕食を食べていて、チキン南蛮を食べながらお椀の向こうにあるスマホを取ったら、引っ掛けてインスタントのしじみスープを思い切りこぼした。
洗いたての分厚いもこもこパジャマのズボンに、じんわりぽたぽた温かい汁が垂れてきて、お盆の上には可哀想なワカメたちが重なり合って濡れていた。
それ見てたらなんかもうどうでもいいやってなっちゃって、とりあえず口の中にあるチキン南蛮と合わせるために冷めた白米をひとくち口に入れた。あとで拭くよ、ってワカメと汁に告げて濡れたパジャマを洗濯物かごに突っ込んだ。

あーあ、スープもチキン南蛮も美味しかったのにな。

昨日はなんかそういう日だった。

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