世の中には知らん人間がこんなにも存在してるのグロいな



マッチングアプリを入れてみた。こういうのって本来はアプリを始めたっていうべきなんだろうけど、今の自分の感覚としては『始めた』というよりかは『入れた』の方が近しい。マッチングするつもりがあまりないから。舐めとんかって感じですけどこれでも自分なりに一生懸命考えたんです。



アプリを入れてる友達から話を聞く感じ絶っっっ対に自分には合ってないって分かりきってたから入れなかったけど、その中でも「いいねが来てるのを見てモテる気分だけ味わってる」というかなり割り切った活用をしてる子がいて、その視点はなかったな、と思ったのがたぶん最初のキッカケ。あとは人肌恋しさを紛らわしたかったのと、ご飯の場での勢いと、一種の社会勉強と、やらずに文句言うのは嫌だったのと、など色々と。



というわけで友達に手伝ってもらいながらプロフィールを作成する。年齢は?居住地は?などの基本的な情報から、結婚願望は?子供は欲しい?家事育児は?初期デートの費用は自分持ち相手持ち?みたいなキショ質問にいちいち顔を歪め、顔顔!!と友達に突っ込まれながら、ようやっと初期設定を終えた。

トップ画面を開くと、それはもういろーーーんな男の人の顔写真が、ブワァァァァ、って出てきた。それを見て私は、うわぁ…と怖くなってスマホを伏せた。


世の中には自分が会ったこともない人間がこんなにもうじゃうじゃといること。しかも今目にしてるのは異性だけだから、その中でもほんの一部。その事実が、私にとってはすごくグロテスクだった。


わたしは自分の身の回りだけのごくごく狭い世界で生きているから、それで充分だしそれが良いと思っているから、こうして見知らぬ人間たちをたくさん目の当たりにしてしまうと目眩がする。この感覚は人混みに行った時のそれに似ている。まさか画面越しでも人酔いするだなんて。画面をどれだけ送っても人、ひと、ヒト。くらくらして目が回った。




それだけじゃなくて、シンプルに自分が気持ち悪い。いいねしてくれた人たちの写真を見ながら、スキップするかどうかを顔で判断している自分に嫌悪感を抱く。判断材料が少ないとどうしてもそうなってしまう自分に気付かされる。そして自分がそうということは相手もそうなわけで。ジャッジする側に立ったら自分もジャッジされる側であることに自覚的でなければならない。顔コンプあるくせしてそうなんだよな自分って、と己の浅ましさに辟易する。あー、キモ、自分。


あと出てくるのが異性ばっかりなのも無理。私だって女の子のプロフ見ていいね押したい。でも異性愛者同士をマッチングするためのアプリにそんなこと求めちゃ駄目だし、そもそも自分は異性愛者だし。自分の性別が女で、異性愛者であることを思い知らされる感じがまた気持ち悪いんだよな。





とはいえ収穫はあった。マッチングアプリのいいところは、やればやるほど恋人欲しさが失せていくところ。確かに、いいねと共に来るプロフ欄のみで判断された褒め言葉であっても、渇望してるから嬉しいには嬉しいおかげで一時的に満たされる。でも、ずらっと並んだ人間の顔写真と明確な欲望たちは、見ているだけでも疲れてくる。これはいい。恋したい愛したい人肌恋しい〜〜みたいな突発的感情が一気に失せてくれる。現実と向き合ってみると如何にそれが自分に合っていないかを思い知る。マッチングアプリにこんな効果があるとは思わなかった。これだけでも入れてみてよかったといえるくらい。



グダグダ言ってはいるけど一応やるからにはちゃんとやろうと思ってるから、数人とマッチングしてお話を始めてはいる。けどやっぱり誰かと新しく関わるために話を広げていくにあたって、当たり前のように未来や仕事や生活の話をする。そして自分がいかにその点について無頓着であるかを思い知る。結婚する気もなければ子供を作る気もなく長生きする気もない奴が、今後の人生において長きを共にするようなパートナーを見つけられるわけがない。というか相手に失礼まであるよなあ……。



今の働き方が気に入っているから相手のために変えたくない。けどどうせ向こうは正社員だし、非正規雇用の後ろめたさはぶっちゃけあるからあんま仕事の話したくない。辞めるとなったらこっちが譲んなきゃいけない気がするけど専業主婦は嫌だし。ワガママ〜〜!!!おまえ恋人作ろうとするな。




まあとりあえず現状お話させてもらってる方とはちゃんとコミュニケーションしつつ、1、2回誰かとお出かけして現実を見て気が済んだら消そうかな〜って感じです今んとこ。これで合わなかったら『やってみたけど無理だった』ってきちんと言えるし、奇跡的にガチで恋人できたらラッキーだし、ってことで。またなんかあったら書くかも。じゃあね。



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