劣化版だれか



ある程度の年齢になって、おばあちゃん家に行くのがあんまり好きじゃなくなった。


どうやら私は、自分の母親と父方の従姉妹にすごく似ているらしく、一発で私だと認識してもらうことがほとんどない。話しかけられるときは「ああ○○かと思った」「それにしても似てるねぇ」「そっくり」のワンクッションを必ず挟まれる。というか私関連の話題はほとんどそれ。

似ているというのはつまりオリジナルではないのとイコールで、私を通してオリジナルの人を思い浮かべられているに過ぎず、その場において私は私として存在できない。

自分を個人として認識されない場って、すこし居心地が悪い。わたしはわたしじゃなくて「お母さんにそっくりな下の娘」であり、「従姉妹に似た子」であり、「優秀な姉の妹」でしかない。


でもこれは幼い頃から姉の後ろへ隠れて、コミュニケーションを怠ってきたツケでもあるからなんともいえない。今でも帰省の連絡を入れるのは姉だから私はやったことがないし、おばあちゃんのLINEや電話番号すら私は知らない。



帰り際、おばあちゃんが私にこっそりお年玉をくれた。恐らく姉には渡さず、私だけに。もちろん嬉しかったけど、同時に少し情けなかった。あんたはまだ子供だから、と言ってもらえることの有り難さと、言われてしまうことへの情けなさ。ありがとう、と伝えて受け取りながら、おばあちゃんごめんねこんな孫で、と心の中で謝って、ポチ袋をカバンにしまった。

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