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羊をめぐる冒険 村上春樹~読書記録344~

文芸誌『群像』1982年8月号に掲載され、同年10月13日に講談社より単行本化された。


1978年7月、大学時代に関係を持ったことのある女の子がトラックに轢かれて死んだ。妻と別れた直後のことだった。8月のはじめ、「僕」は耳専門の広告モデルの女の子と知り合い、彼女は「僕」の新しいガール・フレンドとなった。
9月後半の昼下がり、仕事を休んでベッドの中で彼女の髪をいじりながら鯨のペニスや妻のスリップについて考えていると、ガール・フレンドが言った。「あと十分ばかりで大事な電話がかかってくるわよ」
彼女ははっか煙草を吸って「羊のことよ」と言った。「そして冒険が始まるの」
「僕」が相棒と共同経営している広告代理店に、右翼の大物の秘書が現われた。秘書は相棒に担当者(僕)と直接会って話がしたいと言った。「僕」が右翼の大物の屋敷に行くと、会社で製作したPR誌のページを引きのばした写真を見せられる。写真には星形の斑紋のある羊が一匹まぎれこんでいた。それは「鼠」によって北海道から送られてきた写真だった。出所がどこか尋ねられるも「僕」は拒否する。
男は言った。「今日から二ヵ月以内に君が羊を探し出せれば、我々は君が欲しいだけの報酬を出す。もし探し出せなければ、君の会社も君もおしまいだ」
「僕」は会社を辞め、ガール・フレンドと共に北海道へ渡った。

村上は川本三郎との対談の中でレイモンド・チャンドラーの長編小説『長いお別れ』を下敷きにして書いたと述べており、また、1992年11月17日にバークレーで行った講演で次のように語っている。
「この小説はストラクチャーについてはレイモンド・チャンドラーの小説の影響を色濃く受けています。(中略) 僕はこの小説の中で、その小説的構図を使ってみようと思ったのです。まず第一に主人公が孤独な都市生活者であること。それから、彼が何かを捜そうとしていること。そしてその何かを捜しているうちに、様々な複雑な状況に巻き込まれていくこと。そして彼がその何かをついに見つけたときには、その何かは既に損なわれ、失われてしまっていることです。これは明らかにチャンドラーの用いていた手法です。僕はそのような構図を使用して、この『羊をめぐる冒険』という小説を書きました。」


村上春樹の羊をめぐる冒険は、僕と友人の鼠を中心とした三部作の完結編だ。その数年後に続編もあり、羊男のクリスマスなんて本もあるが。
主人公の友人、鼠は最後は自殺してしまうのだ。鼠、それは自分の弱さからだと。一般人には理解できない弱さだと言うのだった。
夏目漱石のこころでは、先生の友人Kが自殺し、先生も自殺する。
先生が書いた言葉の中には、寂しくて仕方なかったから書かれてている。
要するに、他人には理解出来ない孤独なのだろう。

ちなみに、「こころ」に出て来るKのモデルであるが、この方だ。

「こころ」のKは浄土真宗寺院の家に生まれている。瀧口もそうで、東京大学で漱石と知り合った。

高輪学園は、明治18年、浄土真宗の本山の西本願寺が新時代の要望に応え、進取の気性に富む成年男子の育成をめざして、京都七条猪熊の地に「普通教校」を開設したことにはじまります。校章は、古くから西本願寺が用いていた菊花紋(西本願寺は門跡寺院であったためこれを用いていました)をもとにした「菊くずし」を図案化したものです。

実は、高校時代から夏目漱石の本は何度も読んでいるが、息子の中学国語教師からこの話は聞いたのだ。


少し、話がそれてしまった。
三島由紀夫の自殺が1970年。その時、村上春樹は大学生であった。
私の勝手な考えだが、三島由紀夫の影響はかなり作品に出ていると思う。

それから、作品に出て来る右翼の大物。A級戦犯として巣鴨プリズンにいたはずなのに特赦され政治、経済と戦後の日本を動かした男。
これって児玉誉士夫じゃないの?と思ってしまった。


こういうリアリティさが村上春樹の上手いところだなと思う。


他のA級戦犯がどうなったかは、こちらに・・・

村上春樹の文章は読みやすい。人を惹きつけるものがある。


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