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死はこわくない 立花隆~読書記録326~

2015年出版。立花隆氏のインタビュー、講演、対談などをまとめた本である。

「死ぬというのは夢の世界に入っていくのに近い体験だから、いい夢を見ようという気持ちで人間は自然に死んでいくことができるんじゃないか」。
自殺、安楽死、脳死、臨死体験研究…。長きにわたり、人の「死」とは何かをいうテーマを追い続けてきた「知の巨人」、75歳。がん、心臓手術を乗り越え、到達した心境とは?

立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年(昭和15年)5月28日 - 2021年(令和3年)4月30日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。執筆テーマは、生物学、環境問題、医療、宇宙、政治、経済、生命、哲学、臨死体験など多岐にわたり、多くの著書がベストセラーとなる。その類なき知的欲求を幅広い分野に及ばせているところから「知の巨人」のニックネームを持つ。

1974年(昭和49年)、『文藝春秋』に「田中角栄研究~その金脈と人脈」を発表して田中金脈問題を暴いて田中角栄首相退陣のきっかけを作り、ジャーナリストとして不動の地位を築く。2007年(平成19年)暮れ、膀胱がん暮れ、膀胱がんの手術を受けるが、その後も世界の最前線の研究者たちを取材し、がんの正体を根源的に見つめ直す活動を続けた。


人が死ぬとはどういう事なのか?意識と無意識とは?
それは古来から宗教、哲学の分野とされてきた。だが、この本では科学的見解に基づき解明しようとしている。なかなか面白い本であった。
著者の両親はクリスチャンなのだという。だから、家には仏壇や神棚はなく、日本人が当たり前に知っているお盆、墓参りなども知らないで育ったようだ。
キリスト教は他の宗教をすべて邪教と考える独善性がいやで、大学時代に離れました。いまは哲学的&科学的世界観にもとづく無宗教派といったところです」(本書より)
これはよくわかる。私の反省であるが、もっと若い時にわかればよかったと後悔している。
韓国人クリスチャンたちに豊臣秀吉がした事、ごめんなさいと土下座させられ。ある信者は、仏教の葬儀において「キリストを信じないと救われない。地獄に行く。焼香はしない」と伝道したと得意気に話す。遺族の気持ちを考えろと言いたかったが言えなかった。
人の死生観と言うのは、持っている宗教によって決まる。私もそう思う。
同じ仏教でも、宗派によって随分違うのだ。

立花氏は、矢作直樹医師の主張「死後の世界は存在する」とのオカルト話を批判していたが、私も今は同じ考えだ。
これが東大医学部教授か?と口アングリと立花先生。
初めは共感する部分もあったが、「人は空気だけで生きられる」など逝ったり、青森のイタコを通じて亡くなった弟と話をした、だの。
それを信じるのは個人の自由だが、東大医学部の講義ではやらないでね。と思ってしまう。

だが、立花先生の中にはキリスト教的考えもあるのだろう。
「人は死んだら塵になる」
こういう考えだ。

現代、アメリカでは意識と無意識、臨死体験など、科学的な根拠がかなり実験でわかってきたようだ。

イエスが死んで復活し、死後の世界を語ったとされているが、本当かどうかはわからない。私は弟子たちの作り事だと思う。
死んだ後の事を知っている人は本当はいないのだ。

けれども、立花先生の言われるように「死はこわくない」のだと今は思う。
個人の哲学、思想、主教。他者に迷惑をかけないようにやってくれたらよいし。オカルト的なものは自分だけの心にしまっておいて欲しい。
自分の死について色々悩むよりも、残り少ない人生、好きなことをしようと思うのであった。


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