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目的は御朱印じゃない

今年も始まった京急電鉄の夏の御朱印廻り。

一昨年は、行きやすい南太田駅の日枝神社のみ参拝。
昨年は全て制覇した。
京急は好きな会社でもあるし、利用しやすいのと、参加は神社だけということが良かったのだ。

私が御朱印廻りに疑問を抱きだしたのは、東急花御朱印巡りからだ。


京急、名鉄と鉄道会社とコラボした企画はいくつか参加したが、特に何も言われる事なく参拝出来たのだ。
だが、東急花御朱印巡りは違った。行くお寺や神社で「専用の御朱印帳提示」を求められるのだ。
忘れてしまう人だっているだろうし、京急や名鉄などの場合、専用御朱印帳が売り切れてしまう事も考慮して、特にそれでなければ渡さないということはなかったのだ。

初めは全制覇!などと頑張っていたのだが。
Googleの書きこみを見たある神社。私は個人的には行きたくないな、と思ったのだ。

ホームページやホトカミには良い事しか書けないのだろうが、その点、Googleの口コミは信用性がある。

確かに、自然災害に遭い、神社がなくなってしまったので移転。
人が集まりやすい渋谷で仮住まいの形で神殿をマンションに。それはまあ良しとして。
ある程度、お金が集まったら歴史ある地元に戻るとかはないのだろうか?
それこそ、クラファンで資金を集めるなどは?
というのも、私は、災害に遭われた水俣、能登などの教会や神社、お寺に援助をしたからだ。純粋な気持ちでだ。

そして、神社なら参拝の前に手を清める。それは当然だと思う私は、この口コミを読み行くのを辞めてしまった。手を洗う所もなく、貸してくれないの?ちょっと違うかな、と。

実を言うと、池波正太郎先生のファンである私は、東京都でも下町と言われる台東区や墨田区の方は歩いていて楽しいのだが、最近の街、渋谷、新宿、表参道辺りは好きではない。若い時には行ったが、今は行く気がしない。乗換に使うくらいかな。
これは個人的な疲れやすくなるう、とかそんなものなので、そこにある神社などが悪いわけではないのだが、わざわざ御朱印ゲットだぜ!とポケモンみたいな感覚にはなれないのだ。

こちらは、私が信頼する島根県の浄土真宗の住職さんが紹介していた記事なのだが、納得する点が多かった。

Bさんが言われるように、旅に行った時に高い御朱印代にかけるよりも、美味しい物を食べたいなと思う。今までは、行動食だ!などと息巻いて、飴やらソイジョイみたいな物で済ませていたのだ。

Cさんが言われたように、御朱印を集めなくてはではなく、そのお寺や神社の写真を沢山撮った方がいい。
本当にそう思う。

2023年の春先に京都の伏見稲荷大社に参拝した時も、なんだか御朱印を貰うのがメインになってしまったような気がするのだ。稲荷神社で言えば、鎌倉や他の場所にもっと感動するものがあったのだ。これは個人の感想なので全員がそうではないだろう。何しろ、伏見稲荷大社はインスタ映えで有名なのだから。
鎌倉の鶴岡八幡宮に参拝した時にも、日曜日で何だかの日だったらしく、御朱印を待つ人の行列が出来ていた。そこまでして欲しいとも思わず、辞めた。そして、写真を納め、ホトカミに投稿。
自分的には納得している。

神社に関しては、こんな感じなのだが、私はこれまでお寺に対して失礼な事をしてきたと思う。
お寺に対しての無知ゆえだ。
会社は誰の物?株主の物。これはアメリカ人の投資家の本で知ったことであるが、お寺は誰の物?檀家さんの物なのだ。
法事優先!気軽に本堂に上がるなんて失礼な話なんだ。
それを「頼もう!!」なんて、声をかけて、御朱印があるか聞いて。
今は反省している。
観光地化している京都、鎌倉、御朱印を専門に書く人がいるようなところ。例えば、四国や秩父札所、比叡山延暦寺など。そんな場所は対応が慣れているだろう。
そうでない小さなお寺は、檀家さん以外の他人と対応に不慣れなのだ。寧ろ、一般の勤め人以上に世間知らずな気がする。
学生時代の同級生の実家、私の実家菩提寺の一族を見ると本当にそう思う。
かえって、キリスト教会の牧師一家の方が世間を知っているかな。
そんな人たちに求めすぎてしまった己を恥じ入るばかりだ。
境内にある弘法大師様や日蓮聖人や法然上人の像に手を合わせ、歴史ある木彫りなどの写真を撮り、想い出にする。

そもそも、御朱印ゲット!が目的じゃあないだろう。

弘法大師空海や十一面観音菩薩。参拝が目的なのに、なんか違ってきてしまったな。。。

来月から無職の年金オバサンになる私。ちょっとお金の使い方も改めないといけないなと感じるのであった。






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