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ダンス・ダンス・ダンス 村上春樹~読書記録353~

作中の「僕」は『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』の所謂「鼠三部作」の主人公と同一人物であり、実質的な三部作の続編にして完結編である。また、前三作に比べて、活字の量・物語性が増している。内容としては資本主義の高度発展への社会批判、空虚感と孤独感が特徴として挙げられる。

「僕」は3年半の間、フリーのライターとして「文化的雪かき」に従事していた。1983年3月のはじめ、函館の食べ物屋をカメラマンと二人で取材した。書き上げた原稿をカメラマンに託すと、「僕」は札幌行きの特急列車に乗る。「いるかホテル」に行ってキキと会うためだ。しかし「いるかホテル」(正式名はドルフィン・ホテル)は26階建ての巨大なビルディングに変貌していた。
「いるかホテル」の一室で羊男と再会し、札幌の映画館で中学校の同級生の出演する映画を見る。同級生の五反田君は生物の先生を演じていた。ベッドシーンで、カメラが回りこむようにして移動して女の顔を映し出すと、それはキキだった。
眼鏡のよく似合う女性従業員から、ホテルに取り残された13歳の少女を東京まで引率するよう頼まれる。少女の名はユキといった。
奇妙で複雑なダンス・ステップを踏みながら「僕」は暗く危険な運命の迷路をすり抜けていく。

僕の精神は狂いを見せ、病んでいるのだろうか?
それとも現実が狂いを見せ、そして病んでいるのだろうか?
わからない。わからないことが多すぎる。
でもいずれにせよ、どちらが狂ってどちらが病んでいるにせよ、僕はこの中途半端なまま放置された混乱の状況をきちんと整理しなくてはならなかった。そこに含まれているものが哀しみであれ、怒りであれ、諦めであれ、僕はとにかくそこに終止符を打たなくてはならないのだ。それが僕の役割なのだ。それがあらゆる物事が僕に示唆してきたことだった。そのために僕は様々な人々と出会い、この奇妙な場所まで運ばれてきたのだ。(本書より)

ネタバレをしてしまうと、主人公の探していたキキは殺されており、犯人は主人公の中学生時代の友人、五反田君なのだ。そして五反田君は、自分の弱さゆえに自殺してしまった。
やはり、村上春樹独特の世界観がある。
それにしても、前作で自殺した鼠といい、五反田君といい、こんなにも弱い男ばかり出てくるのだろうか?
イヤ、もしかしたら村上春樹は「人間は弱い」という事をよく知っているのかもしれない。
村上春樹が翻訳したアメリカ人作家レイモンド・カーヴァーの作品に登場する弱い男性を思わせてしまう。

村上春樹の父の実家は京都の浄土宗寺院だ。伯父様が跡継ぎとなり、今は従弟が継いでいるようだが、村上春樹の父も僧侶の資格は持っているらしい。

主人公が出会った13歳の少女・ユキ。母親の恋人が交通事故で死んだ時に「もっと優しくすればよかった」と後悔する。それに対する主人公の言葉は、浄土宗的というか、死生観が感じられた。(私の個人的な感想だ)

「人というのはあっけなく死んでしまうものだ。人の生命というのは君が考えているよりずっと脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と接するべきなんだ。公平に。できることなら誠実に」(本書より)

村上春樹の独特の世界観は、多分、何かの賞を取るものではないような気がする。
ハルキストと呼ばれるマニアが読めばいいのである。




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