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学問と個人的な問題~読書記録48~

最近、訳者が違うと本の内容も変わってくる。こう考え始めている。
と言いつつも、外国語が全く分からないアホであるが、、、
ローラ・インガルス・ワイルダーの大草原シリーズ。大正生まれの先生の本は言葉が難解だった。
「星の王子さま」の内藤先生の訳は、原本とかなり違ったニュアンスもあるとか。。。


結論から言うと、この本が書かれた目的は
「他の人はあなたの要求を満たすために生きているのではない」
という事。

実は、こちらの本。読みながらかなり落ち込み、疑問も持ってしまった。
それは子育てについてなのだが。
「人は共同体の中で」云々言いながらも、あまりにも母親独りの自己責任になってやしないか?
子供が鬱になった、引きこもりになった。母親の育て方?か!甘やかしてしまったから?か!
自分を責め、子供に当たり散らしてしまうのだった。
褒めてはいけない。とあったが、厳し過ぎる環境で育ったゆえに、妻に厳し過ぎ、妻が苦しみ、向精神薬に依存。などはあり得るかな、と。

又、家族をどう扱うか?
通院に付き添ってくれた妻は当然の事をしただけなのだろうか?
褒めるではなしに、感謝の一言もあってはよくないか?

あくまでも「アドラー心理学」という学問であり、カウンセリングとは違う。個々人の生きてきた環境があり、時代背景がある。バブル期に会社員になった人間には、「必死に勉強してきたし、努力しても航空会社や旅行会社に就職できなかった」今の大学生の気持ちはわからないだろう。
「トラウマはない」と言い切るのは心理学と言う学問なら良いのだが、カウンセリングの場ではどうなのだろうか。
思い込み、考え方を変える。一瞬で変わるのだろうか?
例えば、性的被害者。特に幼児期に。トラウマは存在しない?思い込み?

しかあし!!
ここで思った。
あくまでも、100年以上も前の外国の学問。
訳者が違うと解釈も違うかもしれない。

例えば、聖書も説教者が違うと全く違うものになるしね。
一つの学問として捉えて、もう少し、自分や他人の弱さを受け入れたら楽なのかもしれない。。。

高尾先生は、故人であるが、元法政大学ドイツ語教授であり、良き牧者であった。実践的な神学で、教会メンバーから慕われていた。

横浜市の図書館にもあるようだ。

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